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縮小の時代

教育勅語は道議に反する

今回の森友学園問題では、国有財産払い下げの怪しさだけでなく、教育勅語を幼稚園児に暗誦させる森友学園の教育方針を安倍首相夫妻や稲田防衛相が絶賛していることに最も大きな問題がある。

稲田防衛相は、3月8日の参院予算委員会で、「教育勅語は全くの誤りではなく、日本が道議国家を目指すべきだという精神は変わらない」と述べたという。だが、教育勅語は本当に道議的で誤りがないのなのだろうか。民より国体、天皇、武力を重んじる稲田防衛相が道議を語るに相応しい人物だろうか。

教育勅語の全文は以下の通りである:

******************
朕惟(おも)フニ、我ガ皇祖皇宗、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ。
我ガ臣民、克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世世厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ、此レ我ガ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦(また)實ニ此ニ存ス。
爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭儉(きょうけん)己(こ)レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ、進デ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。
是ノ如キハ獨リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。
斯ノ道ハ實ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラズ。朕爾(なんじ)臣民ト倶(とも)ニ拳々服膺シテ、咸(みな)其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。明治二十三年十月三十日  御名御璽
*******************

一見、正しいことを言っており、伝統的な儒教の教えに似ているようだが、実はまったく違う。教育勅語では、まず天皇が神格化され、有無を言わせず、絶対的な敬意崇拝の対象として存在している。

「親孝行」以下、「兄弟仲良く、友と信じあい、恭しく慎ましく、博愛であり、学を修め、智能と徳を高め、進んで世のため人のために尽くし、憲法と法律を重んじる」までは、古今東西の素朴な道徳観とあまり矛盾せず、それ自体としては大切なことだ。だが、教育勅語は、これらはすべて、次の「一旦事あれば皇室のために身を捧げる」ためであって、決して世の民のためではない。このように、国民が皇室に尽くす事が道義であり、忠義であって、それが先祖代々からの日本の習いであるというのだ。

これに対して、儒教の忠君愛国は、君主の神格化でも絶対化でもない。逆に、人民に愛され、慕われるための君主のあり方、指導者としての君子のあり方を説いているのが儒教である。それは、親孝行、家族愛から始まって友人知人、更には人民に対する愛であり、仁である。それを率先すべきが君子であり君主であって、そうして人民が平和に暮らせる良い国家になって初めて人民は君主を慕い、敬愛し、国を愛する気持ちが生ずるのである。儒教は、そのような君主でなければ王たる資格はないと言っている。儒教が重視しているのは、下から上への忠心ではなく、上から下への仁であって、教育勅語とは正反対なのである。

また、儒教は王の血統を絶対視していない。王はそれに相応しい者なら誰でもなれると言い、王に相応しくなければ、追放して世を改める(革命)ことも許している。日本の天皇制は世襲制だから、絶対化であって、血縁以外の者は天皇になれないのである。

したがって、民より天皇を絶対化し、有無を言わせず皇国に命を捧げることを強要している教育勅語は、儒教的な道徳感とは正反対であり、本来の道徳や正義とも真っ向から対立する。

カントはによれば、「真の道徳とは、偶然や経験、あるいは目的や結果とは無関係で、本能的な理性によって、それ自体が正しくそうすることが義務であると感ずることである。更にカントは、自分の意思が道徳的に善であるかどうかを確かめるためには、自分の行動原理が普遍的な法則になることを意慾することができるかどうか」自問して見ればよい、と述べており[1]、NHKの「ハーバード白熱教室」で有名なアメリカの哲学者マイケル・サンデルもそれを肯定している[2]。教育勅語の言っていることは、万世一系の天皇制という偶然の条件を前提としているから、普遍的な法則にはなり得ない。世界には万世一系の王政が続いている国は他になく、既に王政を廃止した国も多い。日本ですら、天皇の神格化、絶対化は普遍的ではなく、江戸時代は徳川幕府の権力の方が権威があった。

[1]カント、中山元訳、「道徳形而上学の基礎づけ」光文社古典新訳文庫

[2]マイケル・サンデル、鬼澤忍訳、「これから正義の話をしよう」ハヤカワ庫

こんな教育勅語を、道議といい、それを掲げる道議国家であることが必要だという稲田防衛相や、それを全面的に支持する安倍首相は、北朝鮮の思想と全く同じである。彼らは、道徳や正義とは何かを考えたこともなく、従って全く理解していないといってよい。いまさら言わなくても、日頃の彼らの言動や態度を見ていれば、彼らに道徳のひとかけらもないことは明瞭だが。

今の天皇は、万世一系の天皇制である限り、その永続性を脅かす最も危険な思想は、天皇の神格化であり、かつての皇国史観だと思っているのはないだろうか。安倍や稲田の右翼思想を、むしろ困ったものだと懸念しているのではないだろうか。■
2017年3月10日
      
  1. 2017/03/10(金) 11:09:19|
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トランプの移民制限を非難するだけでは何も変らない

トランプ大統領がイスラム7カ国からの入国を一時差し止めする大統領令を発したことが、世界中で非難や抗議の的になっている。移動の自由は基本的人権の一つであり、特定の民族の入国禁止は人種差別にも通ずるので、この大統領令は人道的に許せないと言ったところだろう。だが、そのような単純かつ感情的な反対は、もっと本質的な問題を見逃していないだろうか?

そもそも、トランプ大統領がこのような強硬手段に出た理由は、次の点にある:
①法律に違反する不法入国が多い;
②低賃金で働くため、多くのアメリカ市民が雇用を奪われ、賃金水準が下がり、苦しんでいる;
③イスラム系の入国者によるテロがしばしば発生する。

トランプ大統領にしてみれば、国政の責任者として、本来のアメリカ市民の生活と安全を守るためには、いずれも放置できず、何らかの処置をしなければならない問題である。英独仏や日本でも、同様な問題を抱えている。日本ではまだテロ行為は少ないが、その危険はいつでもある。トランプの試みは、ある意味では止むを得ないとも言える。逆に、この政策に抗議し、従来通りの移民政策を続ければ、何の問題解決にもならず、問題をますます大きくするだけではないだろうか。

法治国家である以上、善良な国民からすれば、不法入国は厳しく取り締まって欲しいのは当然である。また、イスラム圏で暴力的な抗争が続き、テロ行為が絶えず、外国にまでテロ行為を広げようとしているのは事実であり、これも国民に取っては大変危険かつ不安である。イスラム圏でテロを根治させることは大切だが、それには時間がかかる。当面はテロの自衛策を取って欲しいのも、多くの善良な国民の望むところではないだろうか。トランプ大統領のイスラム圏からの入国禁止も、一時的なもので、永久とは言っていない。一時的な処置の間に、より根本的な方法を考えるつもりなのだろう。

入国一時禁止も、国境の壁も、自国の内部での対応であって、外国に出かけて対応処置をしようとするのではない。この意味では、これまでの大統領のように、中東を直接空爆し、罪のない一般市民まで大量に殺戮してきたことに比べれば、はるかに平和的である。世界中でトランプの入国禁止令に反対している人達は、よりタチの悪いアメリカ軍の中東の空爆に対して、これまで同じように反対して来ただろうか? そうではなかった。日本のマスコミも、トランプの入国禁止に対する批判ほどの批判はせず、ほとんど沈黙を守って来たのではないだろうか? この点でも、入国禁止令に対する非難は、感情に傾き過ぎ、理性に欠け、問題の本質から避けているように思える。

移民の制限に最も反対するのは、実は企業家達ではないだろうか。移民も不法入国者も、非常に安い賃金で働いてくれる。不法入国者は後ろめたさがあるから、なおのこと低賃金に甘んじるだろう。人件費を切り詰め、利益を上げたい企業にとっては、それによって、従来のアメリカ市民がどんなに困ろうと知ったことではなく、有り難いのである。現在のマスコミは大企業や金持ち達に操られているから、そういう産業界の思惑が、人道派を装って、トランプ攻撃に走っているのではないだろうか?

更に、移民とはどういう人達だろうかを考えてみる必要もある。政治犯や、自国内の戦乱によって国外に脱出する以外に生きる道がない人達は、人道的な立場から、できるだけ受け入れてやらなければならないのは言うまでもない。だが、移民の全部がそんな人達だろうか? メキシコからアメリカに不法入国する人達の多くは、アメリカの方が賃金が10倍も高いからだとテレビが現地報告していた。西欧に流れ込んだ移民の多くも、自国より高い生活水準を求めてのことではないだろうか? 

メキシコの賃金がアメリカの一割しかなくても、物価もまたそのくらいだから、大半のメキシコ人は国内に留まっている。メキシコに限らず、国外脱出せず、自国内に留まって、必死の努力をしている人達も大ぜいいる筈だ。良い生活を求めて自分だけ逃げ出すより、祖国や同胞を愛し、社会の改善に努めたいという気持ちが強いからだろう。言葉はきついが、祖国を捨て、自分だけ楽をしたいために流れ込んでくる移民は、有り難い移民とは言えない。仮に移民先で成功しても、結局は利己主義が先に立つ人間だから、移民先の国民にとって、本当に良いかどうかは疑わしい。

このように、移民の問題には、ただ見かけの人道主義だけでは片付かない、大きな問題が潜んでいる。トランプの大統領令は、このことを改めて考えさせてくれる良い機会なのである。ただ反対し、今まで通りのやり方を続けるのは、問題を先送りするだけだろう。

私は、最善の移民政策として、外国人の賃金を自国民の賃金と同等またはそれ以上にし、それ以下であることを禁止したらどうかと思う。そうすれば、企業はよほど優秀でない限り、敢えて外国人を雇わないから、自国民の雇用が奪われることがなく、賃金水準が下がることもない。よほど能力がない限り外国人の就職が困難だから、不法入国も、安易な移民も減る。就業する外国人は自国民以上に優秀な人が多いから、自国の社会に貢献する。

もう一つ大切なことは、国外への脱出者が多い国に対しては、国内での幸福感を高めるような支援を行うことである。これは、欧米や先進国型の生活態様を目指すのではなく、現地の地理・歴史・文化に適った国づくりを手助けすることである。具体的にどうしたら良いかは、国によって違うからわからないが、少なくとも、そのような国造りの支援を目指すことが、その国に取って最も好ましいことは間違いない。そうすれば、国外へ逃げ出す人も自ずから減少するだろう。■
2017年2月10日
  1. 2017/02/10(金) 15:47:44|
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「自国第一」は間違いではないが

トランプ新大統領は、繰り返して「アメリカ第一」を強調している。それ自体は誤りではない。世界中に、自国第一でない国、言い換えれば、自国より他国を大切にすると宣言している国はないだろう。日本でも事あるごとに国益、国益という言葉が出てくるが、これも「日本第一」と変らない。

しかし、ある国が「自国第一」とすることは、同時に、他のすべての国の「自国第一」を尊重することでなければならない。これは、人間誰でも自分第一であることは当然だが、同時に、すべての人間の自分第一を尊重しなければならないのと同じである。他国を犠牲にする自国第一は、他人を犠牲にする自分第一と同じように、弱肉強食、食うか食われるかの、人間が目指す民主的で平和な社会とは正反対の社会になってしまう。現在、世界の成り行きが非常に危険な状況にあるのは、世界を動かしている政治指導者の中に、このことを本当に肝に命じ、はっきりと宣言している人が一人もいるように見えないからでもある。

今日の新聞によると、トランプは、日米の自動車貿易は不公平だと攻撃している。2015年の完成車輸出入は、日本からアメリカへ160万台であるのに対して、アメリカから日本へは29.5万台でしかないのは、確かに不均衡である。しかし、関税はアメリカが2.5%であるのに対し、日本は無関税である。それでも不均衡なのは、アメリカでの日本車の人気ほど、日本でのアメリカ車の人気がないからで、これは貿易制度のせいではなく、商品の問題である。また、日本には軽自動車の税制優遇や排ガス規制の違いが貿易障壁になっているという指摘もあるが、これは日本の固有の事情による政策であって、外国もそれを尊重すべきであって、非難は当たらない。

自由貿易というと聞こえは良いが、その自由とは、売手側の自由の押し付けに過ぎず、買手側の自由は認めないのである。交易とはそもそも買手側の自由で成り立つものであって、買いたくない物を無理やり押し付けるのは、正常な取引ではない。自由貿易主義の問題はここにあると言っていいだろう。買手側の自由とは、買う商品の選択の自由であると共に、選択の基準を設ける自由も含まれる。環境保護のため、自国の産業を守るため、自国の文化や秩序を守るため、その他の理由で関税や輸入制限をかけるのは買手側の当然の権利でなければならない。

また、交易は人によって欲しい物が異なるからこそ成り立つものである。互いに自国では生産できないもの、生産が得意でないものを輸入するのだから、同じ種類の商品に不均衡があるのは当然で、そうでなければ交易する意味すらない。アメリカが自動車貿易の不均衡を解消したいと思ったら、日本では生産できない、日本人が欲しがる商品を開発するしかない。日本人が軽自動車を好むのなら、日本の軽自動車より優れた軽自動車を開発するしかない。あるいは、アメリカは自国の自動車を保護するために輸入車に高い関税をかければ良い。もちろん、これは同時に、日本がアメリカの農産物に対して高い関税をかけるのを尊重することでなければならない。

商品毎に不均衡があるのは当然なのに貿易協定を結ぶのは、双方の政府が、その方が互いに国益になると判断するからである。日米間で、日本政府は農産物では輸入過剰でも、自動車などの工業製品で輸出過剰になれば、全体としてその方が良いと考え、アメリカ政府は工業製品の輸入過剰を農産物の輸出過剰で補えばその方が良いと考えていたのが今までだった。日本政府はこの考えを続行しようとしている。しかし、それは政府の考え方であって、それが本当に日本にとって良いとは限らない。工業はそれで良くても、農業は大打撃を受ける。日本の政策は、工業のために農業を犠牲にしても良いとしているのである。

トランプはこの考え方を変え、すべての商品種類でそれぞれ貿易が均衡するべきだと言っている。日米の自動車貿易不均衡に対して、トランプが具体的にどのような政策を出すのかは不明だが、日本政府にアメリカ車の輸入を強制したり、アメリカ車の購入に政府が援助金を出したりすることを求めるとしたら、言語道断である。また、自動車の不均衡の代わりに農産物など自動車以外の商品の関税を下げ、他の貿易障壁をとり除けなどと要求するのも、言語道断である。日本がアメリカの強行姿勢に屈して農産物の輸入障壁を緩和すれば、日米の農産物の貿易不均衡はますます増大する。トランプが公平の原則に立つのなら、アメリカは、日本にアメリカ産の農産物輸入拡大を迫るよりも、アメリカが日本の農産物輸入を拡大するために、アメリカ内で必要な処置を取るべきである。そうして、農産物の輸出入が均衡しない限り、自動車の均衡を主張する資格はない。そうでなければ、アメリカの都合を相手に押し付けるアメリカ第一であって、本来のあるべき自国第一ではなく、自国のために他国を犠牲にするヤクザ貿易と変わらない。

トランプのアメリカ第一に対して、日本政府や日本の企業はどのように対応するのだろうか。トヨタがメキシコの新工場を取りやめたり、トランプに気を使ってアメリカに新工場を作るのは、自分の商売のために相手の事情に合わせることで、屈辱でも何でもない、当然の商行為である。だが、政府が農作物の関税を下げたり、軽自動車の制度をやめたり、貿易障壁となりそうな環境規制その他の規制を緩和したりするのは、アメリカの押付けに屈することである。それでも、日本政府が、その方が日本の国益にかなうと判断するかもしれない。もしそうするとしたら、それは、農業や一般市民が犠牲になっても日本の大企業にとって有利と判断したためだろう。政府の言う国益とは、弱い企業や農業を犠牲にしても大企業の利益を守ることになる。(1月29日改訂)■
2017年1月25日
  1. 2017/01/25(水) 14:54:05|
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トランプ新大統領に注目

アメリカは、トランプ時代がついに始まった。メキシコとの国境に壁を作る、移民を入れない、不法移民者は送還する、保護貿易をする、などといった過激な発言で、日本を含む世界中の「良識派」から非難の声が高く、アメリカでは歴代最も期待の低い大統領だそうだ。しかし、注目すべき点もある。

トランプが最も強調しているのは、雇用の確保である。今までの失業率は、就職難で求職を諦めた人は失業者に数えないなとか、数値上は失業率が減っても、低賃金や非正規雇用が増えたなどの統計上のカラクリがあって、真の雇用の安定性を示してはいなかった。トランプがいう雇用の確保とは、そんなインチキな失業率の減少ではなく、ひと昔のデトロイトの労働者のように、まずまずの賃金の安定した雇用を指しているように思う。本当にそうなら、それは従来の民主党大統領にさえ見られなかった、より民主主義を意識したもので、大いに期待できる。民主党の大統領候補としてヒラリーに敗れたが、多くの国民から熱狂的な支持を受けたバーニー・サンダースも、全ての人間の経済的な安定が確保されていない限り真の民主主義はないと演説していたので、この点ではトランプと共通している。

さらに、私が注目したいのは、トランプは「経済成長」という言葉を一度も言っていないことだ。現在は、日本も、欧州も、その他の国々も、皆経済成長を第一に掲げている。世界の経済はすでに地球の容量を超えて肥大化しており、仮にこれ以上経済成長しても、それは真の富ではなく、ただ虚構の富に過ぎない貨幣的な富の増加を意味し、却って富の集中を招き、不公平を増し、社会を一層不安定にするだけである。また、実体材の生産が増えたとしても、今やほとんど生活に必要のない無駄な消費財ばかりで、これも環境破壊を早めることでしかない。今大切なことは、これ以上の生産ではなく、富を少数に集中させず、より公平な分配を志すことである。大統領就任式の演説でも、トランプは、これからは政府の恩恵に預かるのはワシントンの少数ではなく人民 (people) だ、一部の特権階級(establishment)の勝利は人民の勝利に還元するのだと語っている。「経済成長」を語らず、人民の雇用安定を主張するトランプは、トランプ自身がそれを意識しているかどうかはわからないが、まさに「成長・富の集中」から「安定・分配の平等」への、非常に大きな路線転換であるかも知れない。そうだとしたら、これは画期的なことである。
(*1月25日追記)トランプは、昨年8月のデトロイトでの演説で、再び経済成長のアメリカと言っているのがわかった。したがって、彼は経済成長を不要とはしていない。しかし、雇用のために経済成長する、経済成長さえすれば雇用が増えるという言い方ではなかった。

TPP廃止、保護貿易によって国内の産業と雇用を守るという約束も、決して間違ってはいない。現在は自由貿易主義が世界に蔓延し、国と国の格差、各国内では少数の富裕層と大多数の一般人民との格差が広がっている。自由貿易で最も大きな利益を得るのは大企業や大金持であって、一般の労働者や小規模経営の人々にとっては、地方が寂れ、職場を奪われ、競争力を失うなど、不利益の方が多い。環境破壊、資源の無駄遣いもまた自由貿易が促進している。世界を一つの市場にする自由貿易主義は、世界人類の生活水準を向上させるように見えるが、その実態は、世界中の人々が、世界中の資源を使って同じような生活水準や生活習慣を求めることであり、結局は地球を食いつぶし、将来の人類の生活権を奪うことでしかない。そもそも、生物は自分の周りの自然環境が提供する資源の範囲で生活するものであって、人類も同じである。自分の知らない、遠い地域の資源まで好きなだけ使うことを全ての人間が行ったら、地球がいくつあっても足りないのは当然だ。保護貿易に反対し、アメリカ一国主義を掲げるトランプは、この意味で、自由貿易主義者達の目を覚まさせ、世界経済の方向を、本来のあるべき方向に変えるかも知れない。
もっとも、トランプが、現在の経済成長主義の行き詰まりの真の原因を認識し、本気にそれを変えようと思っているとは思えない。彼も所詮は共和党員であり、不動産で財を成した大金持ちである。雇用の安定も、保護貿易も、結局は現在の経済支配体制に屈してしまう可能性が小さくない。現在、世界の経済と政治の力を握っているのは、大企業と大金持ちである。彼らはあらゆる手段を使って経済の転換を阻止し、経済の民主化を阻止しようとするだろう。それでも、ここしばらくは、トランプ新政の行く末が非常に楽しみである。

移民の取締まりも、不法入国者に対してであって、すでに合法的に移民している少数民族を差別することはしないだろう。また、国土が広く、資源が豊富で、その割には人口が少ないアメリカ、もともと移民の国として大きくなったアメリカは、今後も貧しい移民を受け入れる義務はあるし、実際に一切の移民を拒否することもないだろうから、今はまだ非人道的と非難するのは早い。トランプが指している人民(people)の中には、現在差別に苦しんでいる少数民族も入るから、むしろ、少数民族にとっても、今まで良くなる可能性もある。

トランプが次期大統領に決まって以来、日本の論評はほとんど経済への影響に終始していた。トランプの保護主義や雇用確保の決心が、民主主義とどんな関わりがあるのか、日本の雇用制度や経済民主主義はどう変わるのか、と言った論評はほとんど皆無である。いつまでも旧態依然の経済成長主義にとらわれ、何のための経済成長か、経済成長が国民全ての生活と尊厳にどれだけ寄与するのかと言った、より大切なことには全く無関心で、全く情けない限りである。■
2017年1月21日
  1. 2017/01/21(土) 14:00:49|
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日本の憲法にはルーズベルトの理想が反映した

憲法の変更を主張する人達は、今の憲法はアメリカの押し付けだからという理由を掲げている。本音は戦争放棄の第9条を廃止して武力行使を可能にするという、改正ではなく改悪、歴史の後退である。

もちろん、現在の憲法が必ずしも最高に理想的とは限らない。第9条は理想に近いと言えるが、その他の条項には再検討の余地もあるだろう。したがって、日本の憲法はどうあるべきかという根本的なところから議論を始める必要があるという学者の意見は、正当ではある。しかし、現在の日本国憲法には、より理想的な社会を目指すという立場から見て、急いで改正しなければ困るところは特にない。そんな現在、憲法改正の議論を始めれば、必ず議論は第9条に集中し、議会の数の力で強行され、改正より改悪の方に進む可能性が非常に高い。したがって、今は憲法変更の論議を持ち出さない方が良い。

現行憲法がアメリカの押し付けだからという理由は、全く議論にならない幼稚ないい訳に過ぎない。それほど日本の自主性を重んじるなら、まずは政治・経済・文化のアメリカ追従をやめるべきだ。政治と経済は、現在の全球化(Globalization)の中では、欧米諸国とある程度歩調を合わせる必要があったとしても、それでも日本のアメリカ追従は欧州諸国よりも酷い。

文化面にいたってはもっと酷い。アメリカ追従の必要は全くないにもかかわらず、日本人は進んで日本の伝統文化を捨ててアメリカ文化の真似をしている。日本語より上等で格好がよいと思うからだろうか(本当はみっともないのに)、世の中は、日本語で十分表現できるところまでもどんどんカタカナ英語に変り、昭和時代の日本語でさえ、多くが古語になろうとしている。次々出来る新しい集合住宅はほぼ100%カタカナ英語(一部は他の欧州語)だし、公共施設や公用文書までも安易なカタカナ語が余りにも多い。東京のスカイツリー、宇治の源氏物語ミュージアムなど、日本の名所にしたい建造物や日本文化の象徴的施設さえも、カタカナ英語を付けたがる。商店街では、店の名前がほとんどカタカナまたはローマ字の外国語であり、テレビのFM放送番組表もカタカナ外国語の羅列である。

安易なカタカナ外国語使用は、日本語の造語能力を損なっている。明治時代は、西洋から入った新しい抽象概念に新しい日本語が次々と作られた。経済や哲学という言葉がそれである。今は、何でも外国語をそのままカタカナで表すため、新しい、美しい日本語が生まれなくなった。電脳用語など酷いものだ。日本語の新語が現れても、「ださい」とか「やばい」とか、口にしたくない汚い言葉ばかりである。小中学校でも、日本語の古文や漢文や日本史よりも英語教育の方が重視されている。これでも「日本独自の」憲法をと言い張る資格があるのだろうか。

話を戻そう。現在の平和憲法は、当時のアメリカの理想が反映したものである。1941年1月、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは議会に「4つの自由」を発表した。当時はソ連が急激に力を増し、労働運動や社会保障への国民の声が高まった時代でもあった。社会主義化への傾向を抑えるためにも、アメリカ合衆国を更に進んだ、世界に冠たる民主主義国家にしなければ、という機運が盛んだった。当時のアメリカは、第二次大戦への参戦は避けられない状況にあったが、戦争は単に敵を倒すためではなく、それまでの世界とは違った、新しい時代への転換点にならなければならないという考えがあった。全体主義からの最大の防御は、貧困も戦争もない良い社会を造ることと考えられた。

4つの自由とは:
①言論と表現の自由;
②宗教の自由;
③必要からの自由(すべての国の全ての人民に健康で平和でな生涯を保障すること);:
④恐怖からの自由(世界的軍縮、どの国も、どの国に対しても武力を行使しない);
である。

これは、単にアメリカ国内だけでなく、全世界、人類の全体を視野に入れた普遍的な考えである。4つの自由は多くの人に支持された。その4年後、第二次大戦の勝利がほぼ確実になった1944年、フランクリン・ルーズベルト大統領は、第二権利章典(Second Bill of Rights)を発表した。それは、経済的な保障と独立のないところに真の個人の自由は存在しないという理念の下に、
・有益で報酬のある職業につく権利;
・十分な衣食と余暇が可能な収入を持つ権利;
・農民が自分で栽培し、家族がまずまずの生活ができる価格で販売する権利;
・すべての職業人が、不公正な競争と独占がなく取引する権利;
・すべての家族がまずまずの住居に住む権利;
・十分な医療を受け、健康を達成して楽しむ権利;
・高齢、病気、事故、失業による経済的恐れから十分に保護される権利;
・よい教育を受ける権利。
を唱えたものである。これに先立つ1936年ルーズベルトは大統領は、「私の政権は商売と金融による支配に直接挑戦する初めての政権だ」と述べている。

当時のアメリカ政府が最も警戒していたのはファッシズムである。1947年の議会調査局(Legislative Reference Service of the Liberty of Congress)の調査報告書は、ファシズムの特徴として大企業好み、重工業の強化、エリートの利益追求を許す、カルテル化、巨大な軍事費、労働者の団体交渉および労働者による自治政府の禁止を挙げており、4つの自由と第二権利章典は、このファシズムへの最善の対抗になるものだった。

第二次大戦で日独伊のファシズム国家が敗北すると、ファシズムへの恐れは急激になくなり、ルーズベルトの理想はアメリカの憲法にも法律にも実現することがなかった。しかし、敗戦した日本を管理下に置いたアメリカは、日本のファッシズムの復活を防ぐことに最大の注意を払い、日本の憲法にルーズベルトの理想を盛り込んだのである。第9条は、4つの自由の一つである。

ルーズベルトの理想は、資本主義体制の枠内ではあるが、当時のアメリカとしては、人類社会が実現すべき最高の理想であった。自国のアメリカでは、その後の冷戦によって実現していないが、占領下にある日本だからこそ実現した。形の上では押し付け憲法ではあるが、決してアメリカ流の、アメリカ好みの思想の押し付けではなく、全世界に共通する普遍的な理念である。日本としても、もし日本が独自に憲法の草案を作ったとしたら、ここまで優れた憲法は出来なかっただろう。日本国憲法制定のいきさつは、日本にとって却って幸運だっといえる。

同じことはドイツにも言える。戦後の憲法を作ったのはドイツ人だが、やはりルーズベルトの理想が反映しているという。戦後最も急速に繁栄した国が日本とドイツであったのは、まさにこの平和主義の賜物である。

以上のように、日本国憲法はアメリカの押し付けだから自主憲法を、という理屈は、憲法という日本の将来、日本ばかりでなく人類の将来を左右するかもしれない大切な事を論議する根拠にはとしては、余りにも浅薄に過ぎる。それに、現在の日本では第9条を守るべきだという意見も、安部政権の戦争法案に反対する意見も大半を占めている。戦争法案を強引に通した安部自民党を中心とする政権が仮に憲法を変更したら、それこそ安部政権による押し付け憲法以外の何ものでもない。世界一の平和憲法に代わって、それより何段も落ちる憲法を押し付けられた日本人は、世界の、後世の笑いものにしかならないだろう。
(参考書:Robert W. McChesny and John Nichols "People Get Ready" Nation Books, 2016)

追記:
1980年代以後のアメリカは、ルーズベルトの第二権利章典からも却って遠のいている。アメリカの政治経済に追従している日本も同様である。一部への富の集中が激しくなり、格差が広がり、労働者の雇用条件も、社会福祉も悪化している。それにも関わらず、そんな日本に導き、その路線を踏襲し続けている自民党およびその亜流を、日本国民は相変わらず支持している。

そんな中で、アメリカの民主党大統領候補としてクリントンと争ったバーニー・サンダースは、ルーズベルトの第二権利章典を掲げ、人民による人民のための政治の推進を訴えている。彼は社会主義という言葉さえ口に出し、多数のアメリカ人の熱狂的な支持を受けている。もう少しのところでクリントンに敗れたのは残念だったが、「経済的な保障と独立のないところに真の個人の自由は存在しない」という理念の下に、富者と大企業のための政治から庶民のための政治に大きく転換する政策を掲げたサンダースがこれほどの支持を受けているのは、アメリカも本当に変るかも知れないという希望を抱かせる。少なくとも、戦後長い間禁句になっていた社会主義という言葉を、もはや禁句でなくしたことは大きい。そんなアメリカになったら、日本も追従してよい。■
2016年8月5日
  1. 2016/08/05(金) 16:09:29|
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