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縮小の時代

メタンハイドレートの試掘成功は喜ばしいか

愛知、三重沖でメタンハイドレートの採取に世界で初めて成功したとのニュースが全国を駆け巡った。新聞、テレビ、どの報道を見ても、膨大な埋蔵量、国産エネルギーの未来に期待、日本の技術の素晴らしさ、といった好意的な反応一色である。だが、採取実験が成功したしたというだけで過大な期待をかけるのは、貪欲なエネルギーへの欲求、言い換えれば、モノやカネへの飽くなき貪欲に過ぎない。今回の報道で私が強く感ずるのは、これほどまでモノやカネに心を奪われている現代人の浅ましさである。

第一に、今回の試掘は、水深1000メートルの海底を更に300メートル掘り下げて取り出したものだが、月の石さえ採取して帰ることができる現在、特に難しいとは思えない。これを日本の技術の成功だともてはやすのは、技術を崇めたてる信仰に過ぎない。

第二に、試掘の成功と商業的に成り立つこととは全く別問題である。エネルギー源として商業的に利用するためには、安価に、大量に、環境に影響を与えず採掘することが必要で、それが実現しない限り、技術的成功とは言えない。特にエネルギー資源の場合は、採掘されたエネルギーと採掘のために投じるエネルギーとの比(エネルギー収支)が重要で、石油でも当初は100ほどあったが、現在ではどの油田も劣化しつつあり10程度に下がっている。メタンハイドレートはこれより更に小さいと考えられる。いくら資源の量が多くても、エネルギー収支が5あるいはそれ以下になれば、現在のような経済社会は維持できないだろう。

第三に、メタンは温室効果が小さい「きれいな」エネルギーと言われているが、それは電力と同じように、使う時にきれいなだけであって、資源の採掘から最終消費までのすべての生産過程を考慮すれば、必ずしもそうではない。シェールガスの研究をしているコーネル大学のAnthony Ingraffeaによれば、メタンは同量のCO2より温室効果が21倍もあること、採掘や運搬の過程で漏洩しやすいこと、大気中への残留期間がCO2より短い(約1/10)ことなどを考慮して、20年規模で見ると、普通の天然ガス(主成分はメタン)でも、低い見積では石炭と同等、高い見積では石炭よりかなり大きな温室効果があるという (シェールガスの場合は低い見積でも石炭より遥かに高い) [1]。メタンハイドレートの場合は漏洩量がシェールガス以上の可能性があり、決して温室効果の少ないきれいな燃料とは言えないのである。
[1] Robert W. Howarth , Renee Santoro, Anthony Ingraffea " Methane and the greenhouse-gas footprint of natural gas from shale formations " Climatic Change (2011) 106:679–690

第四に、たとえ以上のような問題がすべてなくなってエネルギーが安価で豊富に取り出せるようになったとしても、それは決して喜ばしいことではない。エネルギーが豊富に使えれば、結局は他の自然資源(材料資源、漁業資源、森林や生物資源)が今以上に無駄に使われることになるが、これらはみな有限だし、現在既に過剰に採取されている。更に、エネルギーを使って大量に物を作れば、廃棄物も増える。エネルギーを使うということは、自然に人為的な変更を加えることだから、結局は地球環境をますます悪くするのだ。エネルギーを使って環境保護をすると言う考えは間違いで、本当に環境保護になるとすれば、どこかでエネルギーを使ったように見えても、地球全体として見れば、必ずエネルギーの消費量が下がっているだろう。

あらゆる生命を抱くふところであり、本来は(足るを知れば)豊かな資源の供給者である地球環境が、良い状態に保たれ、我々の社会が本当に持続可能であるためには、使えるエネルギーの量はほどほどである方がいい。現在のエネルギー消費量は既に多過ぎ、この半分、あるいはそれ以下にする必要があるだろう。その意味では、化石燃料資源の減少は却ってよい事なのだ。エネルギーの限界を知って初めて、人間は足るを知り、本格的な環境保護に目覚め、飽くなき物欲から脱した人間らしい生活を取り戻すことができるのだろう。豊富な新エネルギー源の獲得は、人間社会の滅亡を早めるだけであり、人間以外の生物にとってはますます大きな脅威である。
2013年3月13日

  1. 2013/03/13(水) 11:27:20|
  2. エネルギー
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蓄電池に補助金は愚の上塗り

東京都は猪瀬都知事になって初めての予算で、太陽光発電の普及促進のため、蓄電池にも補助金を出す。国の補助金もあるので、150-200万円の蓄電池に対して国と都が合わせて半額を補助するという(東京新聞2月21日)。例えばP社の3.2kWh型蓄電池(約160万円)の場合、国と都あわせて80万円の補助金が出ることになる。

太陽光発電装置本体に対する補助はこれとは別で、東京都で住宅用として標準的な4kW(設備価格約200万円)の設備を設置する場合、国から12万円、東京都から40万円の計52万円の補助が出る。

両者(4kW太陽電池+3.2kWh蓄電池)を合わせると、設備価格360万円に対して132万円という巨額な補助金となる。財源はもちろん税金である。更に、発電した電気を家庭で使わず売電すると、電力会社は1kWh当り42円で買わなければならない。この分は一般電気料金に加算され、消費者が負担する。世の中は失業者で溢れ、職はあっても低賃金で困っている人が多いのに、高額な太陽光発電設備を買える金持ちに、このような巨額な補助金を出すのは、エコカーなどと称して高級車にも補助金を出すのと同じく、不公平極まりない。日本の政治はますます金持ちのための政治になっている。

そんな不公平にも増して、この補助金の「再生可能エネルギー普及のため」という名目も科学的に見て限りなく怪しい。化石燃料の消費量を却って増加させることになるだろう。

太陽光発電が、一般に信じられているような再生可能エネルギーでも自然エネルギーでもなく化石燃料依存の技術であること、却って化石燃料の消費を増加させる疑いが大きいことについては、本ブログでも何度か触れたのでここでは繰り返さないが、その上更に蓄電池を使えばなおさらである。上の例の蓄電池でも重さ約110kgで大量の資源が使われており、希少金属も多い。採掘、製錬、運搬、加工などに消費するエネルギーは膨大である。

しかも、容量3.2kWhでは、日本の家庭1世帯の平均電力消費約10kWhの半日分足らずしかないので、ちょっと雨天が続けばたちまち不足する。結局、これだけ膨大な資源と経費を費やしてもなお、火力発電依存から脱けられない。

太陽光発電の化石燃料収支については、関連する項目が非常に多いので詳細な検討は難しいが、技術論をやめて別の視点から見れば、つまり木だけでなく森全体を見渡しても、次の疑問が湧くのは当然だろう。

第一に、太陽電池パネル、付帯装置、蓄電池という大型重量級の設備を大量生産/大量使用することが環境負担の増加にならないと考える方がおかしい。現在の巨大な物量社会はすべて化石燃料がもたらしたもので、物量社会はまた化石燃料消費を増加させる。再生可能エネルギーでは物量社会は不可能である(本ブログ「再生可能エネルギー100%の社会」)。


第二に、カネの働きを忘れている。モノは生産/消費/後処理の過程だけで資源を消費するのではない。モノの価格に含まれる人件費や利潤は、それを得た人が何かを買うのに使う。そこで新たなモノの需要を生み、そのモノの生産には必ず新たに化石燃料が使われ、再び新たな利潤が生まれる。そうしてカネが次々と世の中を巡って行くことによって、常に新たな化石燃料消費と新たなカネを生み続ける。したがって、財やサービスが高価であればあるほど、その価格自体がそれ相応の化石燃料消費に結びつくのである。このことを考えれば、太陽光発電や蓄電池という「新たに追加される」大型耐久消費財の普及が、化石燃料の消費を増加させることはまず間違いないと見ていいだろう。

なお、昨今は価格も安くなっているが、それは中国など人件費や環境コストの安い国から輸入するからで、安くなった分だけ化石燃料消費が削減したのではなく、むしろ増加していると考える方がよい。

従来より多くの資源を使い、より経費のかかるモノを環境負担が軽減するなどといって普及促進を図るのは、無知による技術信仰か、名前だけの「再生可能エネルギー」「太陽エネルギー」につられてか、さもなければ新たな消費を促し、経済成長に貢献すると考えるからだろう。

太陽光発電装置に加えて、蓄電池の補助は、馬鹿げた政策の上塗りに他ならない。経済界や政府にも太陽光発電の推進者が少なくないのは、環境保護より消費拡大が本音だろう。本当に経済より環境保護を優先するのなら、再生可能エネルギーの拡大より、総エネルギー消費、特に電力消費の削減を真っ先に考える筈である。経済優先だから、それが本当に環境保護に貢献するか、化石燃料の消費を削減するか、などという疑問を発せず、むしろ、その疑問が出ても封殺することに努めているのである。
2013年2月22日


  1. 2013/02/22(金) 17:19:51|
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再生可能エネルギー100%の社会

シェールオイル、シェールガス、メタンハイドレートなど未利用化石燃料の埋蔵量がまだ豊富にあるといっても、枯渇性である以上、いずれは無くなる。採掘と精製に多くのエネルギーを要する(後に残ったものほどエネルギーが要る)ため、実際に取り出せる正味のエネルギーは、埋蔵エネルギーよりかなり少ない。化石燃料の大量消費時代は長く続かず、近いうちに再生可能エネルギー社会に転換して行くことになる。

再生可能エネルギー社会とは、人々の日常生活や経済生産が主として再生可能エネルギーで支えられる社会である。化石燃料の利用が完全に0になることはないだろうが、化石燃料が無くても特に困らず、普通の生活も経済も成り立つような社会と考える。

再生可能エネルギー社会とはどんな社会だろうか。まず、究極の「再生可能エネルギー100%」の社会を考えてみる。

その前に注意すべきは、社会の基盤エネルギーは火力ということである。文明は火の使用から始まった。現在でも、電力は日本の最終エネルギー消費の1/4程度に過ぎず、エネルギー需要の大部分は火力である(工業および家庭の熱源、交通燃料など)。電力も主として火力から造られ、その逆は極めて効率が悪い。化石燃料が基盤エネルギーたり得たのも、火力源だからと言える。再生可能な火力エネルギー源はバイオマスしかない。

現在のエネルギー最終消費の3/4にも相当する膨大な火力エネルギーをバイオマスで補うことはもとより不可能である。現在の日本では、一次エネルギー総供給量のうち、バイオマスが占める割合は1%にも満たず、都市では一般家庭でもバイオマスはほとんど使っていない。再生可能エネルギー社会であるためには、エネルギー需要そのものを非常に小さくしなければならないことがこれでわかる。

バイオエネルギーを増やせる余地は少ない。他国からの輸入は持続不可能だから論外である。資源エネルギー庁の資料によると、日本のバイオマス資源は木質系、食品残渣、排泄物合わせても、化石燃料国内供給量の7.7%でしかない(2009)。これも楽観的で、脱化石燃料時代は食糧の自給率を高めなければならず、しかも化学肥料や農業機械の使用が減って生産力も落ちるから、農地の増加の方が先決になる。植物廃棄物をすべて燃やして土に還さなくすれば植物が育たなくなる。藻からバイオ燃料を作ることについても、本ブログ13年1月9日の記事に書いた。輸送用燃料も少なく高価になるので、自家用車も飛行機も一般人が気軽に使うことはできないだろう。電気自動車もほとんど使えないことは、以下を読んでも想像がつく。庶民の交通手段は鉄道、自転車、バスになる。広域物流や海外貿易も減って、地産地消が進む。

太陽光発電や風力発電についてはどうか。現在、これらの装置の生産には、各種材料の採掘製錬、部品生産、輸送、最終製品の組み立てなどで大量の化石燃料が火力として使われている。再生可能エネルギー時代には、これらの火力源はすべてバイオエネルギーで賄うことになる。発電した電力を水素に変えて火力に使うことも理屈では考えられるが、著しく効率が悪く、特殊な場合以外は実用的でない。少ないバイオエネルギーで作れる発電装置の量は僅かでしかなから、これらの発電量もまた少量に限られる。ただし、電力を使う各種電気機器の生産量もまた限られるから、電力の需要もまたかなり減少する。

太陽光発電も風力発電も発電は人間の意のままにならず、時間的に大きく変動し、時には両方とも全く発電しない。これを補うために、太陽光/風力発電の設備容量にほぼ等しい他の発電設備が要る。この補助発電に水力発電や地熱発電を用いるのは意味がない。両者とも発電時の燃料も経費も0(建設時は含まず)だから、ふだん待機して変動の補完として使うより、こちらを優先発電として常に稼働させた方がよい。(地熱発電は負荷変動への応答性が悪いという点でも変動対応の補助発電に向かない。)

そこで、水力/地熱発電を優先的に使い、それ以上の電力需要がある時に太陽光/風力発電で補えばいいという事になるが、それでは太陽光/風力発電の発電変動には対応できず、電圧・周波数の大きな変動や停電が頻繁に起きる。この変動を補うためには、太陽光/風力発電の設備容量とほぼ同じだけの火力発電所が必要である。火力はバイオしかないが、発電に使えるバイオは極めて少ない。それに、バイオ火力で発電変動を補うのは非常に効率が悪い。第一に、バイオマスは化石燃料に比べて発熱量が少ない(石炭の半分程度)ので、温度が上がらず効率も低い。第二に、固形バイオマスの発電は蒸気タービン式になるが、これは応答性が悪い。第三に、応答性を上げるためにバイオマスを液体燃料に加工してガスタービン方式にすると、その燃料加工で大きなエネルギー損失が出る。第四に、変動補助の発電では負荷変動が激しく、低負荷運転やアイドリング待機が長いので、非常に効率が悪い。これらを考えると、少ししかない貴重なバイオマスを太陽光/風力発電の補助発電に使うのは、非常に無駄が多く馬鹿げていることになる。

また、水力/地熱発電で需要が足りている場合は、太陽光/風力発電の電力は、蓄電できない限り全く無駄になる。発電量を全量有効に使ったとしても、もともと利用効率が悪い(設備容量に対して、太陽光発電は日本では平均11.4%、風力はドイツでも10数%)のが、更に利用効率が悪くなり、無駄の方が多くなるだろう。結局、再生可能エネルギー100%の社会では、太陽光発電も風力発電も貴重なバイオマスを無駄にするだけで、無い方がましだろう。言い換えれば、これらは火力依存、現在では化石燃料依存の発電なのである。

太陽光/風力発電の化石燃料削減効果は一般に信じられているよりかなり小さく、却って化石燃料の消費を増やしていると疑う根拠の方が多いのだが、それはさておいて、仮に多少の効果があったとしても、それは化石燃料がまだ大量に使われている時代にほんの少し使われる場合に限られるだろう。風力発電を推進しているドイツで2012年発電量の21.9%が再生可能エネルギーになったのを見習えという人が多いが、これは水力なども含んだ数値で、風力発電(7.3%)と太陽光発電(4.6%)は合わせて11.9%しかない。GWPF(The Global Warming Policy Foundation)によると、それでも、発電変動に対応できず停電が起きたり、ドイツが北部から南部の需要地に送電する経由地でもあり電力の輸入国でもある近隣のポーランドやチェコでは停電などの被害を被っており、国境でドイツの「エコ電力」が無断で入ってくるのを遮断する装置を建設しているという。

太陽光/風力発電は蓄電でも変動を防ぐことができる。しかし、電池は蓄電量に比べて大型で、大量の資源(希少資源も多い)を使う。これらの生産もすべて火力はバイオで賄わなければならないとなると、それほど大量には作れない。ダムに蓄えるのはどうか。これも、現在以上にダムを作るのは難しいし、遠い海から水を戻すのは大変だから、ダムの下に使った水の貯蔵池を別に作らなければならないが、そんな場所はあまりない。小規模の貯水はどうか。現在、家庭では平均して1日10kWhの電力を使っている。これを1/10まで減らしたとしても1日1kWh(3.6MJ)で、このエネルギーは、揚水/再発電のエネルギー損失を0としても、1m3の水の高さ367mの位置エネルギーに相当する(1kgf•m = 9.8J)。高さ3.67mなら水の量は100m3、重さ100トン、縦横10m深さ1mの屋上プールとなり、どこでも作れる大きさではない。上下に二か所など更に無理だろう。

結局、再生可能エネルギー社会の電力は水力発電と地熱発電で、貴重なバイオエネルギーを使って時間をかけて建設する。両方合わせても、供給力は現在の電力消費にくらべるとかなり小さい。太陽光/風力発電は損失が大きいから、使うのは特別な場合だけ、あるいは、変動を前提とした使い方、すなわち、発電しない時は電気を使わない、という使い方しかない。

以上のように、再生可能エネルギー100%の時代とは、利用できるエネルギーの総量が極めて少ない時代である。現在の社会が高エネルギー密度でかつ量的に豊富な化石燃料の上に築かれたのに対して、再生可能エネルギー社会は、エネルギー密度が小さい、しかも使える量が圧倒的に少ないバイオエネルギーの上に乗った社会で、今までとは非常に違った文明の形になる。僅かなバイオエネルギーでは、発電装置も電気製品も大量には作れない。電力のように大量の資源を使う高級なエネルギーはあまり使えないだろう。

再生可能エネルギー社会と言うと、ほとんどの人は太陽光発電、風力発電、地熱発電、バイオエネルギーの推進といった、エネルギー供給側にのみ関心が集中している。カネがかかっても太陽光発電や風力発電を積極的に増やすことが大切だという主張ばかりで、重要側については、「省エネルギー」といった言葉も聞かれはするが、どの程度の省エネルギーが必要かまで言及されることはない。その行き着く先として目に浮かぶのは、住宅や建物の屋根、空き地、高原、海中の至る所に太陽電池パネル、風車、大型の蓄電池などがある光景である。そんな物量に溢れた社会は、化石燃料による大量消費社会でしかあり得ず、それだけで再生可能エネルギー社会、脱物質の時代とはかけ離れている。

最も重要なことは、再生可能エネルギー社会になることは、再生可能エネルギーの供給を増やすことではなく、エネルギー消費自体を減少することなのである。それには、技術的な効率向上だけではとうてい及ばない。我々の日常生活や社会のあり方を、再生可能エネルギーの供給量に見合った低エネルギー消費態勢に変えてゆくことが何より大切である。これに気が付かないと、次世代に向けてのエネルギー政策は大きな誤りを犯すことになる。太陽光/風力発電など、エネルギーや資材を大量に使う機器の普及を無理に図ることは、却って化石燃料の大量消費を助長するし、行き着く先の再生可能エネルギー社会に合わない、逆方向の社会を造り出す。エネルギー消費の削減とは化石燃料消費の削減である。そうすれば自然に再生可能エネルギーの割合が増えてゆき、その行き着く先が再生可能エネルギー社会なのである。

それでも再生可能エネルギー社会に向かって我々の生活を変えて行かなければならない。化石燃料消費を急にやめるのは不可能だが、確実に減らして行かない限り、社会の持続は不可能なのだ。そのための最良の策は、年間消費量を毎年一定の率で減らすことだろう。例えば毎年1%ずつ減らして行けば、残存資源の耐用年数(可採年数)は常に100年が保たれ、準持続可能な状態が続く。石油は現在の耐用年数が40年ほどだから、毎年2.5%の消費削減をすれば永久に耐用年数40年が続くが、これでも28年毎に許容消費量が半減する。
いずれにせよ、再生可能エネルギーによる代替などを考えるのでなく、化石燃料の消費を早急かつ大胆に削減することが先決である。
2013年2月6日


  1. 2013/02/06(水) 14:28:32|
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藻からバイオ燃料―うまい話?

先日(1月4日)の東京新聞にも出ていたが、藻からバイオ燃料を生産することが話題になっている。日本では筑波大学が研究の先端にあるようで、現在のところ世界一の生産効率を得ているという。非常に繁殖力が高い藻が発見され、これをうまく利用すれば、世界の全耕作地面積の1/10以下で、世界の石油需要のすべてを補うことができるそうだ。これなら、脱化石燃料、脱原発をしながら再生可能エネルギーで需要に対応できる、まことに結構な話だ。だが、そんなにうまい話が本当にあるだろうか?

筑波大学が研究している藻についてインターネットで調べてみると、オーランチオキトリウムという舌を噛みそうな名前の藻で、自分では光合成をせず、外部から有機物を取り入れて増殖するのだそうだ。研究では、外部の有機物源として下水を使うことにより、エネルギーの生産と下水処理とが同時にできるという優れた特徴があるという。しかし、自分で光合成をしないから、太陽エネルギーを直接バイオエネルギーに転換させるのではない。藻が行うのは周囲にある有機廃棄物を集めてよりエネルギー密度の高い有機物に凝縮するだけで、新たなエネルギー生産はしない。これを第二段階とすれば、その前に、正真正銘のエネルギー生産(太陽エネルギーの固定)としての光合成を行う第一段階が必要で、これは他の植物に頼らなければならない。結局、オーランチオキトリウムは、その凝縮の効率や速度がいかに大きくても、エネルギー資源という最も本質的な問題に対しては何の寄与もしないのである。

エネルギー転換の効率についても、この藻による第二段階の凝縮効率がいかに素晴らしくても、第一段階も含めた、太陽エネルギーからバイオエネルギーへの合計の転換効率は、普通の植物と何ら変らないか、あるいは、二段階を経るだけ却って悪いのではないだろうか。また、第二段階の凝縮速度(藻の増殖速度)がいかに速くても、その速度は周囲にある有機物の量に制限される。しかし、下水中の有機物の量は高々知れたものである。有機物の供給量を増やそうとすれば、結局はどこからかバイオマスを捜してこなければならない。手に入るありとあらゆる植物や動物の残骸を投入したところで、現代社会の大量のエネルギー需要の一端を補うに足るほどには成り得ないだろう。

オーランチオキトリウムとは違って、東大やユーグレナ社が開発しているミドリムシ(Euglenaユーグレナ)という微細藻類は光合成をするそうだ。ミドリムシは、増殖速度はオーランチオキトリウムには遥かに及ばないものの、高濃度のCO2下で急速に増殖することが特長で、大気の400倍近い15%ものCO2濃度を含む火力発電所の排ガスを培養層に吹き込んだ実験で、増殖速度が通常空気の場合の20倍にも達したという。ミドリムシから得られるバイオ燃料はジェット燃料に近いので、特に航空機用燃料として有望視されているようだ。

だが、高濃度のCO2で急速に増殖するということは、これをエネルギー生産に利用するためには、高濃度のCO2の供給が必要ということである。このCO2はどこから来るのだろうか。火力発電の排ガスは、もとは化石燃料だから、結局は化石燃料が必要になる。増殖速度を増すためにCO2濃度を高めようとすれば、より多くの化石燃料を使い、排ガスの濃縮に余分なエネルギーが要ることになる。生産したバイオ燃料の排ガスを利用すれば、他のエネルギー源を使わずにCO2の循環になるが、航空機燃料などに使ったら、排ガスの回収は不可能である。バイオ燃料をどんな用途に使うにせよ、排気中のCO2を効率よく回収することは困難で、回収率は極めて僅かにしかならず、結局は別のCO2源(すなわち燃料源)が必要だろう。オーランチオキトリウムと違って、光合成によって太陽エネルギーからバイオエネルギーへの転換も同時に行うが、肝心なことは、投入した化石燃料と比べて得られたバイオ燃料のエネルギー利得がどのくらいになるかである。これは、現代社会の大量エネルギー需要の一端を支える新しいエネルギー資源になり得るかどうかを左右する重要なことだが、現在のところそれに関した情報が何もない。ということは、あまり期待できないということだろう。

枯渇性である化石燃料の大量消費に頼った社会はいつまでも続かないから、いつか必ず再生可能エネルギーを主体とする生活に変えて行かなければならない。それも、化石燃料の枯渇を待つのではなく、できるだけ早くそうする必要がある。再生可能エネルギーにもいろいろあるが、基盤となるのはバイオで、それ以外にはない。なぜなら、他の再生可能エネルギーは電力に変えて使われるが、その発電や送電の装置を生産するためにはどうしても大量の火力エネルギーが必要で、再生可能な火力エネルギー源は結局はバイオしかないからである。また、エネルギー需要としては、現在でも電力より火力の方が多い。電力はなくても何とかなるが、火力がなければ人間は生活して行けない。更に、火力エネルギーからは必要に応じて電力をつくれるが、電力を火力に変えるのは極めて非効率である。

したがって、将来の基盤エネルギーがバイオエネルギーであることに間違いはないが、問題は人間が使える量はどのくらいあるかで、大量エネルギー消費の現代から見ると、非常に少ない。エネルギー研究者であるスミル[1]によると、地球一次生産量(NPP:Net Primary Productivity、地球上の光合成生産の総量)は、人間の一次エネルギー使用量の4倍もある(2005)と言われているが、既に人間が消費する世界の一次エネルギー総供給量の10%がバイオエネルギーであり、燃料以外も含めれば既に地球一次生産量の30-40%を人間が利用している。この40%という値も世界平均の話で、東アジアでは60%以上、西欧では70%以上に達しているという。
[1]SMIL, Vaclav "Global Catastrophes and Trends" MIT Press, 2008, p83-84

仮に燃料以外に使われた植物をすべて最終的に廃棄物エネルギーとして利用しても、バイオは現在の世界の一次エネルギー消費量の40%にしかならない。地球一次生産のこれ以上を人間が利用すれば、ただでさえ損傷しつつある生態系はますます悪化する。エネルギー消費量が現在より桁違いに小さかった昔でも、燃料のため森林を過剰伐採して滅びた文明があった。それに、植物を燃やしてしまえば栄養分が土に戻らず、土地は劣化して生産力が落ちる(江戸時代には町から灰を集めて肥料にする商売が成り立ったが、工業文明の現代では不可能だろう)。

地球一次生産量を増やすには、燃料植物の栽培に適した土地を新たに見つけなければならないが、そんな土地は残っていてもエネルギー需要から見れば微々たるものだろう。それより、食糧生産の方がこれからは重要になる。

オーランチオキトリウムもミドリムシも、開発や利用が無意味というわけではない。前者は下水処理ができ、後者は化石燃料のCO2固定ができる。そして、いずれもその際に多少のエネルギー生産もできる。だが、いずれも、少なくとも今のところは、このエネルギー大量消費の工業文明の一角を支えるに足るほどの新たなエネルギー資源には成り得そうもない。

新エネルギー技術については、必ず熱力学の第一、第二法則に照らして考える必要がある。もともとのエネルギー源はどこから由来するか、それはどれだけ集め、どれだけ利用可能か、もとのエネルギー源から人間が使う形にエネルギーを転換させる際に、どれだけ他の資源やエネルギーを必要とするか、どれだけの効率、どれだけの速度でエネルギー転換できるか、それらの過程でどれだけの環境負担をかけるか、これらすべては持続可能か、等々。これらのうち一つでも欠けていれば、社会を支えるエネルギーには成り得ない。ところが、現在はこれらの一部、特にエネルギー転換技術だけに関心が集中して他の要点は顧みられないことが多い。技術的に転換が可能であるとか、資源の総量が多い(太陽輻射エネルギーが多いとか、宇宙に最も多い元素は水素だという類の)ということだけで、その他のことは無視して、あたかも将来のエネルギー問題の解決の糸口でも見つけたように過大な期待をかける。マスコミもいつもこのような取り上げ方をするし、開発者は都合のよいことしか言わない。

このブログで何回も書いているように、現在の我々に必要なことは、新たなエネルギー源を捜すことではなく、エネルギー消費量を大胆に削減することである。もちろん、物に溢れた現代の浪費生活とはおさらばしなければならないが、その方が人間らしい幸せな社会を取り戻せるはずだ。

一般の人達も、原子力神話には騙されないぞと憤っても、再生可能エネルギー神話にほどんど疑問を抱かない。簡単に技術を信じて「うまい話」に飛びついてしまうのは、贅沢な浪費生活を続けたい、そのためにエネルギーを欲しいという願望に理性がくらまされてしまうからだ。このことが、エネルギーの将来について誤った判断を与える危険が大きい。科学は疑うことが始まりである。エネルギーの利用は科学である。エネルギー技術はまず疑ってかからなければならない。
2013年1月9日


  1. 2013/01/09(水) 21:06:13|
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太陽光/風力発電は原発の代替になり得るか?

脱原発のために、太陽光発電や風力発電に投資して普及促進すべきだと考えている人が多い。だが、発電方式にはそれぞれ特徴があって、実際には太陽光/風力発電は原発の代替にはならない。日本で実際に原発の代替になり得るのは火力発電だけである。今は脱原発が最も大切な課題だから、太陽光/風力発電などの「いわゆる」自然エネルギー[1]の清潔なイメージが少しでも多くの人をその方向に誘うのなら、嘘も方便という考え方もあるが、これは決して小さな誤りでなく、エネルギー政策の根本にも関係する。方便とは言え、物理的な誤りを誤魔化してイメージだけで人を誘惑するのは科学の倫理に反するし、いつか必ず事実が嘘を暴く。

日本では電力の品質に対する要求が非常に高い。周波数(50Hzまたは60Hz)は±0.1Hz~±0.3Hzという非常に高い精度で一定に保たれており、電圧も法定では101±6Vだが、実際はこれより遥かに精度よく管理されているという。電力の需要や供給(不慮の故障などによる)が急変すると周波数や電圧に影響するので、電力会社は需給の変化に素早く対応して発電所の負荷を調節し、変動を防いでいる。

しかし、発電の方式によって負荷調節の容易さや運転コストに差がある:
・水力発電:調節が最も容易(水量の調節だけ)、運転コストも安いが発電可能量は少ない;
・天然ガス/石油火力(ガスタービン):調節は比較的容易(燃料)、運転コストが高い;
・石炭火力(蒸気タービン):敏速な調整は困難(ボイラの燃焼と蒸気)、運転コストは安い;
・原子力発電:最も調整が困難、(電力会社の計算では)運転コストは安い;
・地熱発電:安定的で運転コストは比較的安いが、資源量は少ない。蒸気タービンだから、調節性はやや劣るだろう;
・バイオ/ゴミ火力(蒸気タービン):追従性は石炭火力に準ずるが、資源量が少ない。

したがって、電力会社は場合に応じて最適の発電所を選択する。例えば、電力需要が最も少ない時間帯の負荷を基底負荷(Base Load)として原子力や石炭火力が最適効率で定格発電する。東京電力管内では、2010年の最低負荷時間帯は、最低が5月4日朝5時の2142万kW、最高が8月4日の2593万kWだった[2]。大震災以前の東電の原発17基(福島県10、新潟県7)の合計認可出力は1730.8万kWだったから[3]、基底負荷にかなり近い原発設備があったことになる。

太陽光発電は時刻によって大きく変化し、夜には全く発電せず、昼間でも天気次第である。風力発電は時刻には関係しないが常に風まかせで分単位で変動して全く予測がつかないし、やはり全く発電しない時がある。したがって、太陽光/風力発電を増やしても、原子力発電が担っていた基底発電の代りにはならない。勿論、それでも人間としての倫理から、原発を即廃止すべきであることは言うまでもない。

原子力に代る基底発電は、日本では当面は火力、特に出力の変化に時間のかかる石炭火力だろう。もし、太陽光/風力発電を最大限に導入し、基底発電として最優先に使ったらどうなるだろうか。需要が最も少ない時間帯には配電網に流れる太陽光/風力発電の割合が増える(夜間の場合は風力だけ)が、全く発電しない時もあるから、発電量の変動は100%にも達する。このような大きな変動に速やかに対応して安定電力を供給することはほとんど不可能だろうが、仮に可能でも、この変動を補う火力発電は、極めて効率が悪い。つまり、発電しない時はアイドリング状態で待機し、発電が必要になると、ある場合には比較的低負荷の範囲で、ある場合に低負荷から高負荷の範囲で、いずれも頻繁に負荷を変化させる。

これは渋滞時の自動車に似ている。停車してアイドリングしているかと思えば、発進急加速して少しだけ走り、すぐにまた急停車してアイドリングになる。こんな運転をすれば非常に燃費が悪いのは誰でも知っている。火力発電でも同じで、太陽光/風力発電の導入によって、発電所の効率が悪化し、化石燃料の消費量が却って増加する可能性が大きい[4]。


太陽光/風力発電を基底電力の最優先とせず、基底電力の一部を火力発電で行ったらどうだろうか。そうすると、太陽光/風力発電の発電が需要を超える場合があり、その時はせっかく発電しても無駄に捨てられる。電池や溶融塩の加熱、揚水ダムなどに蓄える方法もあるが、いずれも効率が悪い、容量が少ない、過大なコストなどの理由で、まだ現実的ではない。

結局、太陽光/風力発電は基底負荷以上の需要に使うしかない。しかしその場合でも、太陽光/風力発電の両方とも全く発電しない時があるから、電力会社は、常に総需要に応じられるだけの他の発電能力を持って待機させておかなければならない。しかも、太陽光/風力発電の設備が多くなるほど電力網に与える変動要因が大きくなり、火力発電の効率悪化をもたらす。

太陽光/風力発電の効果を宣伝する時に使われる数値は、それらで発電された分だけ火力発電所の発電量が減り、燃料が節約されたという、非常に単純な、現実を無視した計算に基づいたものである。変動を補う火力発電所の負荷が下がり、しかもアイドリングや頻繁な出力変動によって効率が非常に悪化すること、および、これらの損失が導入率が高くなるほど大きくなることは何も考慮されないので、全く信用に値しない。

結局、電力網の変動と化石燃料消費の増加を防ぐには、太陽光/風力発電の割合を小さくしておかなければならない。言い換えれば、太陽光/風力発電の設備容量が大きなるにつれて、発電しても有効に使えないで捨てる部分が増えてしまう。ドイツの電力会社E.on社の報告は、2004年には電力網に入れた風量発電は設備容量の8%で、2020年に政府の計画通りに増加すると、設備容量の4%しか有効に使えないと言っている[5]。デンマークやドイツなど、風力発電を積極的に増やした国では、電力網を保護するために、余剰電力を外国に輸出している。欧州という非常に大きな電力市場があるから、全体としてみれば導入率が低く収まっているのである。それでも、デンマークは風力発電によって化石燃料の消費が減ったという実績はない。

最後に強調しておくが、化石燃料消費を減らす(少なくとも増加させない)で脱原発を行うには、減少した発電量だけ消費を落とすしかない。これは無駄な生産、無駄な消費をやめることだが、より持続可能にするために必要であるし、それによって生活に支障を来すことはない。
2012年12月9日

参考資料
[1]「自然エネルギー」という言葉の欺瞞性についてはこのブログでも何度か書いた。例えばhttp://shitou23.blog.fc2.com/blog-entry-4.html
[2]東京電力でんき予報 "電力使用状況データ" http://www.tepco.co.jp/forecast/html/download-j.html
[3]電気事業者連合会、"FEPC INFOBASE 2010"
http://www.fepc.or.jp/library/data/infobase/pdf/info_b.pdf
[4]風力発電と太陽光発電:変動の損失は燃料節約を相殺する110604
http://shitou23.blog.fc2.com/blog-entry-32.html
[5] Wind Report 2005 E.on Netz


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