FC2ブログ

縮小の時代

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

機会の均等か結果の平等か

「機会の均等」は、日本では教育機会や雇用機会として語られることが多い。確かに、教育や雇用の機会均等は最も重要である。しかし、これらの根底には一般的に「機会の均等」と「結果の平等」のどちらがより大切か、別の言い方をすれば、何事にも競争を煽る社会と、競争より協調を重んずる社会とどちらを取るかの問題がある。

レーガン、サッチャー以来の新自由主義は、企業の自由を重んじて、それまで労働者や消費者が不利にならないように企業の勝手な行動を制限していた様々な規制を緩和して来た。日本では小泉、竹中の時代に至って強力に推進された。それ以来、経済は微成長を続けながらも雇用条件は悪化の一途をたどり、貧富の差が拡大した。規制緩和は競争を激化し、より少数の勝者がより多くを得、敗者はより多くを失ったのである。

新自由主義を採用する理由は、企業の自由の枠を広げ、競争を活発にすることが経済成長の最良の手段と考えられているからだろうが、それによる格差拡大が容認されていることから、結果の平等より機会の均等が重視されていることになる。

では、新自由主義によって機会は本当に均等になったろうか。そうはなっていないと思う。人間の活動は個人的にも世代にわたっても連続するもので、一つの結果が次の機会を造る。したがって、結果の平等があって初めて機会の均等が得られる。子供世代の教育機会が不均等になるのは、親世代の結果が不平等のためである。このように、機会の均等と結果の平等とはほとんど同義である。

もしも結果は不平等でも機会の均等があり得るのなら、いつの時代でも機会均等だったと言えないだろうか。現在、誰でも大統領や首相になる機会が与えられているのと同じように、戦国時代も誰でも大名になる機会があった。古今東西どの王朝でも、誰でも皇帝を倒して自分が取って替わることはできた。勝った者が専制政治を行っても、それは勝者の特権として容認された。

日本では「平等」というと反射的に悪平等、共産主義という言葉が返って来ることが多い。これは、経済成長主義や大企業や金持ちを守るために、平等という言葉をを皆が嫌う共産主義に結び付けることによって、頭から封じようとするものである。

だが、平等は共産主義の特権ではないし、現に共産主義を名乗る国が平等社会とは言えない。そもそも民主主義の発達の歴史は、機会の均等ではなく、結果の平等に向かって進んで来たものである。基本的人権の尊重、個人の自由の尊重、多数意見の尊重はいずれも平等を尊重することである。競争したのだから負けた者が不平等になっても当然だという思想はからは、民主主義は生まれない。機会均等は不平等を正当化するために使われているようなものだ。

もちろん、結果の平等が大切だと言っても、何もかも完全な平等にすべきだというわけではない。しかし、少なくとも結果の不平等が多くの不満や社会問題のもとにならない程度の平等は必要である。勝者による富の集中は、本来共有であるはずの地球の資源を余計に占有することを意味する。いかに才があっても、共有資源を独占してよいことにはならない。勝ったのは自分の才能によると思うのは思い上がりで、必ず幸運や敗者の犠牲を伴っているのである。唐の曹松の七言絶句「己亥歳二首 その一」の最後に、よく知られた「一将功なりて万骨枯る(一将功成万骨枯)」の一句がある。将軍が名を上げた陰には万人の犠牲がある、という意味である。

すべてにおいて競争を煽る社会になっているのは、それが経済成長を促すからであろう。実際、市場競争に限らず、運動、文化、学問、その他あらゆる分野の競争は経済利益が目的になっているといっても過言でない。経済成長の呪縛から離れれば、競争の必要はない。不平等の結果を恐れて絶えず競争に駆り立てられているより、競争はほどほどにしてなるべく平等であることの方が、結局はすべての人間の幸せにつながるのではないかと思う。

東日本大地震で壊滅的な被害を受けた人達は、「沢山あっても取り合えば足りないが、少ししかなくても分け合えば足りる」と言って互いに助け合ったという。これも、平等が人の心を幸せで豊かにする事を示している。平等であれば総量が少なくても何とかなる。多くを望まず、環境を害せず手に入るものだけで心豊かに暮らせるから、経済成長も必要ないし、資源の乱獲や環境汚染も避けられる。もちろん原発も不要である。どこへ行っても安心できる社会になる。自分が本当にやりたいと思ったこと、生きていてよかったと思うことをやれる社会になる。これからは機会の均等という言葉に騙されず、もっと平等を見直すべきである。
2011年6月19日


  1. 2011/06/19(日) 11:41:24|
  2. 政治
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<ナンバーワンとオンリーワン | ホーム | 太陽光発電:買取制度の不自然>>

コメント

No title

児童福祉を学んでいる大学生です。
「機会の均等・結果の平等」のジレンマに苦しんでいるのですが、石田さんのこの記事を読んで、少し考えが進みそうです。
なぜか感動して涙が出ました。
ありがとうございます。
  1. 2013/10/10(木) 18:38:59 |
  2. URL |
  3. #-
  4. [ 編集 ]

No title

うれしいコメントです。ありがとうございました。石田
  1. 2013/10/10(木) 22:15:45 |
  2. URL |
  3. 石田靖彦 #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://shitou23.blog.fc2.com/tb.php/47-5b9fcc7a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

石田靖彦

Author:石田靖彦

フリーエリア

最新記事

----------

過去の記事一覧

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (15)
環境 (20)
エネルギー (29)
原発 (45)
伝統文化 (0)
科学と技術 (21)
政治 (12)
政治・社会・経済 (48)
文化 (3)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。