縮小の時代

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自動運転電気自動車の矛盾

最近のマスコミを見ていると、将来は自動運転/電気自動車の時代にすることが世界共通の目標になっているようだ。①化石燃料を消費しない、②環境を汚さない、③安全走行、④運転が楽で快適というのが、その効能書きだろう。しかし、こんな社会は、技術狂いが夢見る、人間を忘れた馬鹿馬鹿しい技術の一人歩きである。少し冷静に考えてみれば、自動運転も電気自動車も、上のどの目標をも満たすどころか、却って問題を大きくし、持続可能な社会の庶民の交通手段になり難いことはすぐわかる。その矛盾点をいくつか挙げてみよう。

電力をどうするのか。太陽光発電や風力発電が量的に賄いきれないことは明白。その理由は本ブログでも度々書いたので、ここでは省略する(注)。結局は大量の化石燃料か原子力依存になる。環境と自然資源への負担は却って増えるだろう。
(注)例えば
・電力で化石燃料の代替はできない 2015年8月10日
・代替エネルギーは問題を解決しない 2014年11月16日
・再生可能エネルギー100%の社会 2013年2月16日

大きな蓄電池を含めると、自動運転電気自動車は大量の金属資源(希少金属も多い)を使い、重量も大きく、従って生産に膨大な化石燃料を要し、価格も非常に高い。一人当たりGDPが今よりはるかに大きな豊かな社会でなければならない。

しかし、価格が高いということは、仮に購買力が伴ったとしても、結局は化石燃料の高消費に結びつく。化石燃料消費削減のために電気自動車の世界的普及が可能と考える前には、化石燃料消費とGDPとは全くの無関係であることを証明する必要がある。しかし、その証明は、永久機関の発明と同じように、自然法則に反するだろう。直感的に考えても、物の生産経費は何か消費されるものの量を反映している筈だ。何も消費されなければ経費はゼロだから、希少でなければ無料である。太陽や風力エネルギーはいくら消費しても無料だから、消費されるものとは、化石燃料または人力エネルギー(食糧)のいずれかである(物質消費もエネルギー消費に帰する)。現在の消費エネルギーは人力に比べて化石燃料が圧倒的に多い。したがって、高価格は化石燃料の高消費と無関係ではない筈だ。太陽光発電に金がかかるのも、化石燃料を大量に消費していることの一つの証だろう。

自動運転を推奨するのは、手動運転より安全だという仮定があるからである。手動運転でも、危険な場合に自動的にブレーキがかかるなど、手動運転を補助する安全対策ならまだよい。だが、完全な自動運転の方が安全だという仮定は正しいだろうか。おそらく、その反対だろう。

安全第一のための自動運転なら、歩行者と混在する道路では極めて遅い速度、何が起ってもほぼ瞬間的に停まれる速度、すなわち、歩行者とそれほど違わない速度に設定しなければならないだろう。だが、それなら、自動運転でなくても、速度制限を歩行者程度まで低くし、自動車自身もそれに合わせて低性能、小型化する方がより安全だし、資源・環境への負担は格段に下がり、価格も安く、子供や老人でも運転できる民主的な乗り物になる。わざわざ複雑な自動運転にする必要は全くない。

歩行者と混在する道路で運転者がハンドルから手を離した状態、運転席から離れた状態の車が走ってきたら、歩行者は非常に恐ろしく思うだろう。却って安心して歩けない。バスや宅配のトラックなど、大きめの自動車だったら尚更だ。

国土交通省が作った自動運転車の安全基準では、65秒以上ハンドルから手を離していたら、自動的に手動運転に戻さなければならないことになっている。これは、自動運転といえども、手放し運転の危険を国土交通省自らが認めていることになる。当然である。

ハンドルから手を離して自動運転している間に65秒経って自動的に手動運転に戻ったら、それこそ危険である。国土交通省の安全基準の矛盾。

だが、自動運転に頼りながら前方に注意してハンドルをしっかり握っていなければならないのは、手動運転より却って神経が疲れるだろう。自動運転に慣れれば、運転技術は衰え、とっさの場合の操作ができなくなる。却って危険。
歩行者がいる道路では、自動運転中の車の速度は、極めて低くなるだろう。そこへ、自動運転を解除した手動運転の車が来たらどうなるか。手動運転の運転者は、自動運転車のノロノロ運転にイライラして、危険な追い越しなど図るかもしれない。却って危険が増す。

歩行者と区別がない道路を自動運転車が走るという発想自体、極めて無責任でいい加減なものである。完全に自動運転に頼れるのは、自動車専用道路しかないだろう。それでも、安全速度はかなり低くなる筈である。また、自動運転に任せて安心していたら、とっさの場合は対応できない。自動運転の高速走行では、運転者は一層注意をする必要があるだろう。

自動車の楽しみの一つは自分で車を動かすことにある。自動運転ではその楽しみはない。
自動運転は電磁波依存である。世の中に多様な電磁波が溢れ、今後も増え続ける。つまり、何かの電磁波が自動運転システムに影響したら非常に危険であり、その可能性は非常に高い。犯罪やテロで妨害電磁波が発射される危険も増す。
太陽光/風力発電や自動運転電気自動車が世界中に普及した社会を想像すれば、それは現在以上の金属社会、物質社会、工業社会である。現在より環境負担が増えこそすれ、減ることは絶対にない。化石燃料社会でない限り、そのような金属社会、電力社会ではあり得ない。

自動運転電気自動車の時代を夢見ることは、人間を忘れ、自然法則を忘れて、技術を神と崇める技術宗教の信仰に過ぎない。環境破壊も資源多消費も自動車事故も技術がもたらした問題である。技術が生み出した問題を、従来と全く同じ技術観(技術信仰)で解決しようとすることが無理な話で、より解決困難な新しい問題を産むだけである。今後は、ますます複雑な技術に依存することよりも、技術に捉われた人間の魂を取り戻すことが大切で、それ以外に問題を解決する方向はない。

環境負担の軽減と安全向上のためには、複雑で資源多消費の自動運転電気自動車でなく、自動車の小型化、低速化(歩行者のいる道路では歩行者並の速度に制限)、あるいは、自動車専用レーンのない道路から自動車を締め出す以外にない。自動車の諸悪の根源は高速性、快適性を求めることにある。特に高速で走れることは、益より害の方が遥かに大きい。■
2017年11月24日
  1. 2017/11/24(金) 15:12:37|
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