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教育勅語は道議に反する

今回の森友学園問題では、国有財産払い下げの怪しさだけでなく、教育勅語を幼稚園児に暗誦させる森友学園の教育方針を安倍首相夫妻や稲田防衛相が絶賛していることに最も大きな問題がある。

稲田防衛相は、3月8日の参院予算委員会で、「教育勅語は全くの誤りではなく、日本が道議国家を目指すべきだという精神は変わらない」と述べたという。だが、教育勅語は本当に道議的で誤りがないのなのだろうか。民より国体、天皇、武力を重んじる稲田防衛相が道議を語るに相応しい人物だろうか。

教育勅語の全文は以下の通りである:

******************
朕惟(おも)フニ、我ガ皇祖皇宗、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ。
我ガ臣民、克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世世厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ、此レ我ガ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦(また)實ニ此ニ存ス。
爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭儉(きょうけん)己(こ)レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ、進デ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。
是ノ如キハ獨リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。
斯ノ道ハ實ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラズ。朕爾(なんじ)臣民ト倶(とも)ニ拳々服膺シテ、咸(みな)其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。明治二十三年十月三十日  御名御璽
*******************

一見、正しいことを言っており、伝統的な儒教の教えに似ているようだが、実はまったく違う。教育勅語では、まず天皇が神格化され、有無を言わせず、絶対的な敬意崇拝の対象として存在している。

「親孝行」以下、「兄弟仲良く、友と信じあい、恭しく慎ましく、博愛であり、学を修め、智能と徳を高め、進んで世のため人のために尽くし、憲法と法律を重んじる」までは、古今東西の素朴な道徳観とあまり矛盾せず、それ自体としては大切なことだ。だが、教育勅語は、これらはすべて、次の「一旦事あれば皇室のために身を捧げる」ためであって、決して世の民のためではない。このように、国民が皇室に尽くす事が道義であり、忠義であって、それが先祖代々からの日本の習いであるというのだ。

これに対して、儒教の忠君愛国は、君主の神格化でも絶対化でもない。逆に、人民に愛され、慕われるための君主のあり方、指導者としての君子のあり方を説いているのが儒教である。それは、親孝行、家族愛から始まって友人知人、更には人民に対する愛であり、仁である。それを率先すべきが君子であり君主であって、そうして人民が平和に暮らせる良い国家になって初めて人民は君主を慕い、敬愛し、国を愛する気持ちが生ずるのである。儒教は、そのような君主でなければ王たる資格はないと言っている。儒教が重視しているのは、下から上への忠心ではなく、上から下への仁であって、教育勅語とは正反対なのである。

また、儒教は王の血統を絶対視していない。王はそれに相応しい者なら誰でもなれると言い、王に相応しくなければ、追放して世を改める(革命)ことも許している。日本の天皇制は世襲制だから、絶対化であって、血縁以外の者は天皇になれないのである。

したがって、民より天皇を絶対化し、有無を言わせず皇国に命を捧げることを強要している教育勅語は、儒教的な道徳感とは正反対であり、本来の道徳や正義とも真っ向から対立する。

カントはによれば、「真の道徳とは、偶然や経験、あるいは目的や結果とは無関係で、本能的な理性によって、それ自体が正しくそうすることが義務であると感ずることである。更にカントは、自分の意思が道徳的に善であるかどうかを確かめるためには、自分の行動原理が普遍的な法則になることを意慾することができるかどうか」自問して見ればよい、と述べており[1]、NHKの「ハーバード白熱教室」で有名なアメリカの哲学者マイケル・サンデルもそれを肯定している[2]。教育勅語の言っていることは、万世一系の天皇制という偶然の条件を前提としているから、普遍的な法則にはなり得ない。世界には万世一系の王政が続いている国は他になく、既に王政を廃止した国も多い。日本ですら、天皇の神格化、絶対化は普遍的ではなく、江戸時代は徳川幕府の権力の方が権威があった。

[1]カント、中山元訳、「道徳形而上学の基礎づけ」光文社古典新訳文庫

[2]マイケル・サンデル、鬼澤忍訳、「これから正義の話をしよう」ハヤカワ庫

こんな教育勅語を、道議といい、それを掲げる道議国家であることが必要だという稲田防衛相や、それを全面的に支持する安倍首相は、北朝鮮の思想と全く同じである。彼らは、道徳や正義とは何かを考えたこともなく、従って全く理解していないといってよい。いまさら言わなくても、日頃の彼らの言動や態度を見ていれば、彼らに道徳のひとかけらもないことは明瞭だが。

今の天皇は、万世一系の天皇制である限り、その永続性を脅かす最も危険な思想は、天皇の神格化であり、かつての皇国史観だと思っているのはないだろうか。安倍や稲田の右翼思想を、むしろ困ったものだと懸念しているのではないだろうか。■
2017年3月10日
      
  1. 2017/03/10(金) 11:09:19|
  2. 政治・社会・経済
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