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STAP細胞問題の共著者と理研の責任について

昨日、この問題を調査した理研が記者会見を行い、研究リーダーであり論文の主著者である小保方氏には捏造、改竄の不正があり、二名の共著者(笹山氏、若山氏)には不正はなかったが重大な責任があると発表した。この報告に対しては、小保方氏の反論もあるようだし、理研という大組織が不正の罪を若い小保方氏一人に被せようとしているのではないかという見方もあり、今後も議論が続きそうだが、いずれにしろ、理研や共著者の責任が大きいという点では、マスコミも世論も理研も一致しているようだ。若い主著者と違って経験も知名度もある共著者、および国の予算を使う大組織である理研を批判したくなるのは人情だが、私は、共著者や理研の責任を強く追及することには危険を感じる。

研究も研究発表も、チームで行うこともあるが、普通は個人で行うことが原則である。研究で最も重要なことは研究者の自由である。研究者の自由がなければ独創も新発見も生まれない。学問の自由は大学が命を懸けてまで守るべきことである。もちろん、事故を防ぎ、倫理を守るための規則や管理は必要だし、税金を使う研究所では、研究課題や予算について研究所としての承認も必要だが、一般的には、研究課題の選択にも、研究方法にも、研究成果の論文発表にも、研究者の自由が最大限に尊重されなければならない。研究者もそれを望み、そのような自由があるところが本当によい大学や研究所と言えるだろう。このことは逆に、すべての責任は研究者自身にあるということであり、研究者もまたそれを自覚しなければならないことは言うまでもない。

したがって、今回の騒動で理研の管理責任を強く追及することは、理研が各研究者の研究内部や発表論文の書き方まで立ち入るべきだというのと同じで、最も重要な研究者の自由を軽視することになる。大学教授の研究に大学当局が細かく立ち入ってあれこれ管理監督すべきないのと同じことだ。私は、今回の記者会見において、ノーベル賞受賞者である理研の理事長には、堂々と「理研は各研究者の良心を信じ、各研究者の自由を尊重し、各研究者の自由を守る立場にあるから、もし発表論文に問題が生じた場合も、責任は理研ではなく研究者にあるのが原則である」と述べて欲しかった。今回の騒動を通じて、世論が研究者の所属組織の責任を追及すれば、今後、他の研究所も大学も研究者への干渉を強めることになるのではないかと懸念する。その方が損失は大きい。

共著者にも、研究課題の選択および研究方法の決定、研究の実施まで共同で行った正真正銘の共同研究者から、研究の内容にはほとんど関与しなかったが上司というだけで名を連ねた人まで、様々ある。しかし、正真正銘の共同研究者と雖も、研究のすべてに責任があるとは言えない。共同と言っても実際には分担であり、分担とは、それぞれが自分の分担を自分の責任で自由に行い、他人の分担にはそれぞれの担当者の良心と能力を信じて、なるべく干渉しないのが原則だからである。したがって、責任を持つのはあくまでも自分の分担部分であって、他人の分担に責任を持つことはできない。

論文も、実際に文章を書くのは一人である。章に分けて分担執筆しても、分担部分は一人で書く。どのように論文を作り、どのように文章を書くかが分担者の自由に任されるのなら、論文の体裁上の責任はすべて分担した執筆者にある。もし、共著者が論文のすべてに共同責任があるのなら、すべての共著者が論文を丁寧に読み、検討し、気に入らない箇所は執筆者に修正させなければならない。しかし、そんなことは事実上不可能だし、必要でもない。他人の分担は他人の自由にし、自分はなるべく干渉しない方がうまく行くだろう。もちろん、研究の実施においても、論文の執筆においても、他の分担者が幼稚な誤りや不正を犯せば共同執筆者としては汚点になり、発表前に良くチェックしなかったことを悔やむことになるだろう。しかし、それでも、共同研究者、共著者として分担分に不正も過誤もなければ、責任を追及すべきではない。共同研究も共同執筆も、互いの良心と能力を信じて行うという習慣が大切であって、それを崩したら、良い研究など生まれなくなるだろう。

したがって、小保方論文に不正があったとすれば、共著者や理研については、不正に加担したかどうかが最も重要な点で、主著者の不正を見抜けなかった責任を追及することではない。理研の記者発表では、不正は小保方さん一人であると結論しているが、今後マスコミが追求すべきことは、本当に不正に全く関与していなかったのか、不正を全く知らなかったのかということである。ただし、先回の記事「3月17日 小保方さん問題は競争社会の問題」に書いたように、それ以上に追求すべきは、科学者、特に若い科学者をしてこのような不正やずさんな論文提出に至らしめた学問の世界の競争主義、成果主義である。そして、そのような競争主義、成果主義が理研でどのように行われているか、若い任期制の研究者に成果主義を押し付けている一方で、常勤の職員が楽をしているようなことはないか、更には、特定国立研究開発法人の指定を巡って、金に群がる構造がないかどうかを追求して欲しいものだ。
2014年4月2日


  1. 2014/04/02(水) 12:29:11|
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