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縮小の時代

人間は神の創造か自然の産物か ー ホーキングと宗教界の対立

WEBロイター(5月17日)は、有名な物理学者ホーキングが、英国ガーディアン紙のインタビューで“「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」”と述べたと報じている。記事はここ

同記事はまた、“博士は、2010年の著書「The Grand Design(原題)」では宇宙の創造に神の力は必要ないとの主張を展開し、宗教界から批判を浴びている”とも書いている。

ガーディアンの記事を確かめると、ここでコンピュータとは人間の脳のことで、コンピュータが壊れるとは人間の死を意味している。ホーキングはまた、人間の発生について、“宇宙の初期の非常に小さな量子的ゆらぎが銀河、星、人間の生命発生の種になった”と述べている。
記事はここ

ホーキングのこれらの言葉がニュースになるのは、欧米にはキリスト教的な神による人間創造説を科学的真理と信じる人が依然として少なくないからだろう。カリフォルニア州には学校でダーウィンの進化論を教えることに反対するカトリックの集団がある。

私は、科学的には神が人間を創造したという説を排するが、神仏を否定する必要も全くないと思っている。生命はいくつかの原子が何かのきっかけで結合して発生し、環境に応じて進化したものだと科学的に理解する一方で、心の中では、そのような自然の力を畏敬して「神のなせるわざ」と捉えても何の矛盾も感じない。どこにでも神の存在を見て自然を敬って来た日本人は、もともとそれに近い感性を持っていたと思う。環境を大切にし、自然と共生するためには、むしろそれが大切である。

物質としての生命組織(脳)があってこそ精神があり、脳が死ねば精神も何も無に帰すことは科学的事実として認めながら、死後には天国や阿弥陀浄土へ行けると信ずることにも矛盾はない。親しい人が亡くなった後でも、自分の心の中に生き続けていると信ずるのと同じである。

科学は客観世界を扱い、神仏や宗教は主観世界のものである。両者は次元が異なり、人間が生きる上でそれぞれ異なった役割をする。科学は宇宙や生命の客観的な法則を求め、宗教はそのような客観世界に置かれた人間の一人として、個人が如何に生きるべきかという道を求める。

科学と宗教は対立するものでないから、自然の科学的理解がいくら進んでも宗教の重要性が下がることはない。宗教による進化論の否定は、客観の問題と主観の問題を混同して、客観的な自然法則を主観で左右しようとするもので、宗教の役割を自ら否定することでしかない。
2011年5月20日

  1. 2011/05/20(金) 14:28:32|
  2. 科学と技術
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