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自然エネルギーも虚偽表示だ


食材の偽装表示が全国の高級ホテルや高級レストランに及んでいる。産地を偽ったり、実際にはブラックタイガーやバナメイエビなのに、聞えの良い車エビ、大正エビ、芝エビなどと表示したり、加工肉なのにステーキと表示したり、などである。法律的には不当競争防止法違反と判断することが難しい場合があり、簡単には摘発できないようだ(msn産経ニュース11月6日)が、養殖輸入のバナメイエビを日本近海産のエビのように表示するのは明らかに誤魔化しで、高い料金を取る高級店のすべきことではない。言うまでもなく、どの新聞もテレビも、店側を追求する怒りの姿勢で報道しているのは当然であるし、もっと厳しく追及して欲しいものだ。

工業製品を自然物だと言い張っても、納得する人は誰もいないだろう。海で採れた魚もそのまま食べれば自然食品だが、加工して元の形がすっかり変ったものを自然食品と表示すれば、虚偽表示と叩かれるだろう。ところが、食品の偽表示にこれほど怒っている報道関係者や国民が、太陽光発電や風力発電を自然エネルギーと呼ぶ偽表示には全く甘いどころか、何の躊躇もなくその言葉を使っているのはまことに不思議である。おそらく、技術信仰のため、技術用語には容易に騙されやすいことの現れではないだろうか。

太陽光や風そのものは自然エネルギー源であることに間違いはない。人間の手が一切加えられていない、生のままのエネルギー源だからである。しかし、その生のエネルギー源を加工して造られた太陽光発電や風力発電の電力は、もはや自然エネルギーではない。太陽光や風力が自然に電力に変化したのではなく、人間が数々の複雑巧妙な人工的機械装置を使って、元のエネルギーを加工し、初めて電力に変えているのである。したがって、電力はあらゆるエネルギーの中でも最も自然から遠い、人工的なエネルギーである。

太陽光発電や風力発電を「自然エネルギー」と呼ぶのは、その原料である太陽光や風力が自然の産物だったからだろう。だが、それなら、ありとあらゆる工業製品もみな「自然物」と言って良い事になる。自動車も、テレビ受像機も、飛行機も、どんな複雑な工業製品も、その原材料はみな自然物だったからである。あらゆる物質はすべて自然から採取したもので、人間は無から物を造り出すことはできず、人間はそれを加工できるに過ぎない。したがって、自然物か人工物かは、原材料のことではなく、人間の加工が入っているか否かを示す言葉なのである。どんな物質でも、人間が使うまでには何らかの加工(運搬も含めて)がほどこされているのが普通だから、自然物か人工物かにはっきり別けるのは難しい場合もあり、どの位の加工が入っているかの程度(自然度)問題である。

太陽光発電を自然エネルギーと呼ぶのは、暗に、石炭や石油は、天然のままの状態にあってさえ、自然エネルギーではないと区別している。しかし、物質と同じく、あらゆるエネルギー源はすべて自然の産物であり、石炭も石油も人間が造ったものは一つもない。したがって、石炭も石油も、加工したものでなければまさしく自然エネルギーそのものである。もし太陽光発電の電力が自然エネルギーならば、石炭や石油から加工したコークス、練炭、ガソリン、灯油、すべて自然エネルギーと呼ばなければならない。原子力で起こした電気も元は自然資源のウランだから、これも自然エネルギーである。つまり、すべてのエネルギーは自然エネルギーであって、わざわざ「自然」という冠をつけて呼ぶ意味は全くなくなってしまう。太陽光発電した電力を自然エネルギーとよび、石炭石油を自然エネルギーに非ずというのは、論理のでたらめもいいところだ。英語にもnatural energyという言葉はあるが、真面目な記事や論文ではほとんど見かけることがない。もっとも、太陽光発電や風力発電をもrenewable energyと呼んでいるのは、やはり正しくないが。

自然エネルギーという言葉の不自然さを感じてか、自然エネルギーとは再生可能エネルギーのことだ、などと言い訳しながらそのまま使っている人も少なくない。しかし、再生可能は再生可能と呼べばよいのに、それをわざわざ自然と言う言葉に置き換えて呼ぶのは、二重の意味で虚偽表示である。第一に、「自然か否か」と「再生可能か否か」とは全く異なる話で、何の共通点もない両者を同じ言葉で呼んでしまったら言葉の役目がなくなる。第二に、太陽光発電も風力発電も、決して再生可能ではない。電力にするためには多種多様な金属と大量のエネルギーを使い、複雑な工業生産過程を経た発電装置が必要である。金属はリサイクルできても必ず消耗部分がでるから、非再生可能である。生産過程で使われるエネルギーのほとんどは化石燃料であり、これを全部再生可能なバイオマスに置き換えることも、太陽光発電や風力発電の電力を使って自己再生するのも不可能である(工業エネルギーは火力も多い)。

以上のようにでたらめな論理や虚偽表示は、太陽光発電や風力発電の宣伝に使えば、食材の虚偽表示と同様に、不当競争防止法違反に相当する。エネルギーは物理的なものであり、精神的なものではない。物理的なものは科学的に誤りや矛盾のない正しい表現が必要である。太陽光発電や風力発電に対して自然エネルギーという言葉を使うのは、商売ではなく論文、評論、解説その他の一般的文章や話の中で使っても、事実認識の誤りの証拠であり、それでは真実の説明もまともな論理の展開もできるわけがない。このようないい加減な言葉を使った文章はすべて科学性に欠け、信頼するに及ばずと考えた方が良い。

さらに、これらの虚偽表示が食材の虚偽表示より悪いのは、食材ならその場の嘘だけで終るが、自然エネルギーという虚偽表示は、人々のエネルギーや工業文明に対する考え方そのものにも大きく影響し、社会のとるべき方向を誤らせてしまうことである。自然エネルギーという言葉に騙され、それが本当に環境負担を軽減するかどうかを全く疑わず、未来の社会を支えるエコエネルギーだと信じている人がどれだけいるだろうか。エネルギーの専門家や技術者でさえ、自然という言葉に騙されて、その環境負担やエネルギー収支の追求の手を緩めているのではないだろうか。

環境負担にはエネルギー消費の大幅削減以外の方法はない。エネルギー消費の大幅削減なしに化石燃料を太陽光発電や風力発電に置き換えようとしても、却って環境負担を増す可能性の方が大きい。各家庭に設置する発電装置や蓄電装置のために、今までより物量が大幅に増え、希少な希土類元素を始め金属資源の使用量が増し、それらの生産のために必要なエネルギー消費が増える。太陽光発電や風力発電の間歇性を補うために、従来の火力発電も廃止できない。そんな発電装置が世界的に普及すれば、環境負担が増すのは当たり前である。
2013年11月18日

  1. 2013/11/18(月) 12:17:59|
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