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縮小の時代

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意識を変える

以下は去る4月7日に京都で行われた「縮小社会研究会」法人化記念大会で、「縮小社会研究会への期待:意識を変える」と題して私が行ったミニ講演の内容を加筆し、一篇の文章にまとめたものである。
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縮小社会とは

縮小社会とは、簡単に言えば、産業革命以来指数関数的に膨張を続け、ついに地球の容量を超えてしまった人間活動の物理的規模を、地球環境の持続可能性を損なわない範囲に留める社会である。生命と経済の物質的基盤である環境の劣化がこのまま続けば、文明の破滅は避けられない。拡大こそ人類幸福への唯一の道だと思い込まされて造って来た経済至上主義の社会は、確かに一定の成果を上げ、昔と比べれば人々の生活は豊かになった。しかしその本質は、ただ金に換えるためだけに際限なく環境を収奪して余分なものを造り出し、個人の物欲を掻き立て、他人を犠牲にする奪い合いを基本とし、常に無益な競争を煽り、豊かさと活力の源泉はそれ以外にないとする社会であり、人間同士の心の繋がりを分断し、人間性を蝕み、不平等を増し、伝統文化を破壊して画一的な商業主義文化に置き換えるなど、不条理に満ちた社会だった。拡大が地球容量の限界を超えた現在は、その不条理が成果を上回り、末期的な様相を示している。もはや、いかなる経済成長政策もバブルを呼ぶか、良くても一時的な見かけ以上の効果は生まず、不条理をますます増大させるに過ぎない。指数関数的な拡大がいつまでも続かないことはもとより明らかである。産業革命以来250年、長い人類史から見れば一瞬に過ぎない拡大の時代は終焉を迎え、これから再び縮小に向かわざるを得ないのは自然の摂理である。社会の縮小は、人々の日常生活から労働、産業構造、都市や町村の姿、更には教育や文化に至るまで大きく変化させるが、物理量で表せない社会の質の後退ではなく、逆に、物・金・機械に奪われた人間の魂を取り戻し、より質の高い、より多くの人の幸せを実現する、次の社会を造るための必要条件でもある。物理的拡大社会の文化は一時のあだ花でしかないが、持続可能になった縮小社会なら、その文化文明を将来永久に蓄積資産として引き継ぐことができる。


縮小社会への移行

環境保全や「足るを知る」ことの大切さを理解し、大量消費の習慣を見直すべきだという考えに真っ向から反対する者は多くはない。ところが、世の中は一向に縮小の方向に向かう兆しが見えず、逆に、縮小を唱えるなら具体的な方法の提案が必要だと言われることが多い。しかし、縮小には物理的な困難があるわけでも、新しい発見や技術開発を必要とするわけでも、また、特に変った方法が必要なわけでもない。必要なことは縮小の決断だけで、決断さえすれば実施項目は自然に明らかになる。ちょうど、収入以上の支出を続けている浪費家にとっては、支出を抑える決心が何より重要で、どの支出を削るかを決めるのは大して難しくないのと同じである。方法を教えてくれなければ実行できないなどと言っていれば破産しかない。

例えば社会縮小の最も核心であるエネルギー消費、特に化石燃料消費を持続可能な範囲まで削減するには総消費量の上限を設定すればよい。残存可採年数が100年の化石燃料なら、総消費量の上限を毎年1%ずつ削減して行けば、残存可採年数はいつまでも100年を保つことができる。決められた総量(消費権)を公平に分配する方法はCO2排出権の分配と同じで、既に専門家が検討している。完全に公平な分配が難しい場合は、累進的な燃料税などの併用も考えられる。いずれにせよ、目標の総消費量を決めて絶対に達成するという固い社会的意志さえあれば、あとは専門家や政治家の仕事で、必ず解決できない筈はない。

化石燃料の削減は他のすべての分野の縮小をもたらすが、それを円滑に進めるためには、特に目新しい方法でなくても、高速自動車中心の交通体系の見直しを始めとして、種々なエネルギー需要を減らす関連政策が知られている。一国だけでは浮いてしまうとか、国際的に歩調を合わせることが困難とか、国際競争力の低下が問題だというのなら、自由貿易の制限まで踏み込めばよい。もともと、持続可能な社会は食糧や生活必需品の自給が基本であり、拡大志向の産物である制限のない自由貿易は、地域の環境破壊とエネルギーの過剰消費によって持続不可能である上、強国が弱国を経済的に侵略し、さらには文化まで支配するなど、負の面が多過ぎるのである。また、利子の制限や減価貨幣なども、金が金を生んで絶えざる拡大を要求する構造を変える方法としてよく知られている。

ところが、これらの方策は、現代の社会に合わないとか、経済への影響が大き過ぎるとか、混乱を招くなどの理由からだろうか、ほとんど真面目に取り上げられない。その上で、縮小社会に移行する具体的方法の提案が必要だというのは、往々にして、拡大の原因である社会の基本構造を変えずに縮小する方法を要求しているのと同じであり、それではどんな方法もうまく行く筈がない。こうして、現在実施に移されているのは現在の社会の形を変えずに済むような方策だけだから、実証できるほどの効果が出ないのは当然である。世界中で環境保護が主要な課題になって久しいが、国内外で実施されている現在までの環境政策がほとんど効果を上げておらず、地球環境悪化の傾向が一向に止まらないのがそれを物語っている。また、多くの人々から普及促進が期待されているエネルギー・環境技術の多くも、すべて現在の社会構造を前提に、企業が自己の利益拡大を目的として大量生産・大量販売するために開発したものだから、目に見えにくい間接的な環境負担を最大限に無視し、環境保護のためのコストを出来るだけ削り、企業側に都合の良い計算上の効果だけが独り歩きして、真の効果はほとんど実証されていない。結局は、技術を売る大企業への利益集中や経済成長には貢献しても、地球全体として見れば、拡大志向への執着をますます強め、却って資源消費と廃棄物を増やすことに繋がる。アインシュタインは、問題を生み出したのと同じ考えで問題を解決するのは不可能だと述べたそうだが、まさにその通りである。


意識の転換が必要

上述したように、縮小社会に移行できないのは、方法がないからではなく、現在の社会関係、特に、生きることは自己の利益の最大化を図ることだという前提条件の上に構築された生産・分配の構造が妨げているからである。そして、この社会関係は人間が望んだ(または容認した)決め事だから、絶対的なものではなく、変えようと決心さえすれば変えられる。

社会関係を造り、かつ支えているのは人間の意識(あるいは観念)である。人間が行動し、何かを造り出すのは必ず何かの意識に基づいている。無意識的な個人の行動でも、あるいは、特別の意図がなく自然に出来上がったような社会でも、ただ強く自覚しないだけで、根柢には必ず一定の意識がある。現代の拡大主義社会の基になっている人々の意識は多種多様だが、そのいくつか列挙して見れば:

・物欲主義・お金崇拝:他人より物や金が多いほど幸福。お金は富そのもの。人生はお金。

・生産主義:生産すること、所得のために働くことを無条件によいことと考え、所得にならない仕事を低く見る。

・経済成長信仰:経済成長して豊かになることがすべての問題を解決する。

・進歩主義:人類は不断の進歩が必要。今の人間は昔の人間より進歩し、優れている。より多くの物を使うこと、より多くを見聞すること、より多くの選択肢があること、より速く行くこと、より遠くへ行くこと、より便利になることは進歩である。

・競争主義:優勝劣敗は人間を含む生物界の自然法則。競争こそ進歩の原動力で、競争がないと停滞する。敗けは努力不足の結果だから自己責任。

・市場原理主義:市場の自由は民主制の基本である個人の自由と同じで、自由(放任)であればあるほど民主的。市場が自由であるほど生産が効率的になり、経済成長に有利。

・技術信仰:技術は人間の優秀性を示す証。技術の進歩は人類の進歩で、技術の利用が多いほど進歩した社会。新技術はすべて高級で優れた技術。新技術はすべて素晴しく、直ちに利用すべき。技術が資源・環境問題を始めあらゆる問題を解決し、更なる経済成長を可能にする。将来の社会を支え、今後の進歩の原動力なるのは一段と高度な技術。

・国際(グローバル)主義・欧米崇拝:欧米式の文化や生活習慣を取入れることが進歩。国際的は地域的より優れる。何でも国際的に統一し、国際的な基準で見ることが良い事。

・人間中心主義:人間だけが自然を十分に理解し、好きなように利用する能力と権利を持つ。

・分断主義・独立主義:他人に依存せず、共有せず自分で所有し、独立して生きることが自由な大人の条件。なるべく金で解決し後の面倒を避ける方がよい。

・楽観偏重:不利なことは気にせず、何事も夢を持ち、物事を楽観的に捉える方がよい。

他にもまだありそうだが、いずれも拡大志向を造り、あるいは支えているもので、資源・環境問題に限らず貧困、経済格差、国際紛争、技術がもたらす各種の問題や文化の多様性の衰退など、現代社会のあらゆる問題を生み出した原因にもなっている。これらの意識は大企業や成功者、すなわち政策決定に影響力を持つ立場の人達にとって有利なので、現代人は生まれた時から家庭、学校、社会を問わずあらゆる機会に、ほとんど疑問を感じないほどに刷り込まれている。縮小社会の趣旨には賛成だが、縮小という呼び名が消極的、マイナスの印象を受けるという人がいるが、そこにも拡大が進歩、縮小は後退という意識が現れている。拡大あれば縮小ありで両者に善悪の違いがあるわけではなく、何が進歩で何が後退かは時の状況に応じて変るものだが、縮小こそ、これからの社会進歩の条件なのである。

これらの意識は、人間の本性に由来するものでも、また普遍的な真実でもなく、特に工業化以来の社会思想を反映して人為的に形成されたものに過ぎない。そのため、しばしば論理の矛盾を招いたり、客観的な事実に合わなかったりすることもある。例えば、地球環境が話題になると誰もが大量消費の習慣が悪いといいながら、不景気の風が吹くと、世の中を挙げて不要不急の消費拡大を求めるという論理的矛盾や、富の無限の拡大は資源の制約とは無関係などという自然法則と矛盾する信念がまかり通っている。


選挙を通じて政治を変える

人間の本性でも普遍的な真理でもないこれらの意識は、変えようとすれば変えられる。意識が変れば必ず行動に結びつき、世の中を大きく変えることも可能だが、意識が変らなければ世の中は変らない。既に意識を変えた人々が、日本や世界のあちこちで、環境保護や持続可能を旗印にした種々な自主的活動を行っている。しかし、そういう私的行動の大切さは勿論だが、それだけでは社会は変えられない。現在の環境政策も、多くは個人の選択や個人の責任にゆだねるものになっている。市場原理の理屈では、個人個人が環境保護や社会縮小に最大限の心がけをすれば、やがては企業や社会の生産構造まで影響を及ぼすことが出来るが、実際はそうは行かないのである。例えば、自動車をやめて公共交通機関や自転車にしたくても、周囲の条件がその実行を困難にしている。このように、どうしても現在の社会関係に制約されて思うような行動がとれず、また、自分が必要と思う以上の物を買ったり使ったりせざるを得ないことが多い。したがって、社会の仕組みを変えるには政治を動かすことが大切であり、それ以外に方法はない。

現在の民主社会では、政治を大きく動かせるのは選挙しかない。選挙の投票は、誰にとっても最も簡単で苦もなく実施できる行動である。人々の意識が変って、社会の縮小が必要であり、大量消費にどっぷりつかった生活にはこだわらないと本当に思うようにさえなれば、少なくとも、現在の日本を支配している拡大主義の政党やその亜流の候補者に投票することはやめるだろう。そうして拡大主義者の議席が少し減るだけでも、次の選挙には縮小社会(縮小という言葉を使うかどうかは別にして)を目指す人が政治の舞台に上がる機運も増える。そのような議員の数が増えるにつれて、より目標の高い強力な政策が実施可能になる。どんな政策をどんな順序で行うかという具体的な事は、社会の向かう方向がはっきりすれば、必ずそれに伴って明らかになる。社会を変える政策が実施されれば、企業の方向も自然にその方向を向き、それにふさわしい商品や販売の方式が工夫されるようになる。政策は社会の意思から生ずるのであって、政策から社会の意思が生まれるのではないのである。


理論が大切

縮小社会研究会の最も大きな課題は、旧来の意識を捨て、縮小社会を理解し、縮小後の社会に希望を持ち、選挙の投票という行動に結びつける、世の中にそういう人達の数を増やして行くことだろう。そのためには、しっかりした情報を広く提供するしかない。情報の種類を具体的にいくつか挙げれば:

・縮小社会の定義、縮小社会の目指すもの、何故縮小が必要かに関する事;

・拡大志向の現在社会における様々な問題点および社会縮小による解決に関する事;

・大量消費・拡大志向に繋がっているとは気が付きにくい各種の意識に関する事;

・縮小社会の社会像に関する事(日常生活、生産、企業、都市や農村の情況、教育、文化その他);

・社会の縮小など必要ない、または実現は困難だと感じさせる様々な理由への反論;

・現在の様々な環境保護の方策や技術における問題や限界に関する事;

・具体的な縮小政策に関すること;

・個人や地域でも可能な活動に関すること、等等。

縮小は物理的規模だけだが、結局は社会のすべての分野に関係するから、提供する報告や理論の内容も多岐にわたる。しかし、縮小社会は一つだから、それぞれの理論は全体として一つの体系をなし、どの視点から見ても、理論の拠って立つ前提に矛盾があってはならない。現在はその種の矛盾がかなり多く、前述したエネルギー環境技術の多くもその類である。縮小社会研究会には、そのような矛盾のない、人々が縮小社会を考える際の拠り所になる、質の高い情報を提供することを期待したい。実践だけを重んじて理論を机上の空論と軽んずるのは正しくない。歴史的にも、宗教にせよ、近代の啓蒙思想にせよ、マルクスやケインズにせよ、世の中を大きく動かして来たのは理論だった。理論は実践のためであり、実践が理論に磨きをかけるのは言うまでもないが、理論あっての実践でもある。社会を実質的に変えるには、まず人々の意識を変えて投票に結びつけるしかないという現在においては、理論を充実し広く提供することが殊に重要である。実践を主とする人と理論を主とする人が同じである必要はない。縮小社会研究会の最大の役割は、やはりしっかりした理論を構築することではないだろうか。
12013年4月27日


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