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縮小の時代

高額な環境投資は価格の信号を無視した計画経済だ

本ブログの前回の記事(2月22日)では、太陽光発電や蓄電池、あるいはエコカーと称する高級車に高額な補助金を出すのは馬鹿げていると書いた。それらの技術を検討すれば、本当に環境負担を軽減するかどうかは限りなく疑わしいが、技術的な詳細はさておいても、「高額」が何を意味するかを考えれば、やはり本当に環境負担を削減するのか、という強い疑いが生ずる。「価格の信号機能」を無視してこんな事に多額の税金を使うのは、歴代の自民党や民主党政府が最も嫌悪している「計画経済」と同じではないか。もっとも、彼らが計画経済に反対する本音は、経済学的にどうこうというよりも、それが社会主義の思想から出たもので、金持ちが一層得をする体制が壊されるのを恐れるためだっただろうが。

自由主義市場経済の考え方では、価格が信号となって資源が最適に配分される。確かに、神様のように万能ではない人間には、この複雑な社会において誤りなく適切かつ計画的に資源を配分することなどとうてい不可能だろう。また、資源配分の権限を持った少数の人間集団が、本当に一般庶民の立場に立った資源配分に努力してくれるとは、とうてい望み得ない。

現在の経済学では、価格が表すのは効用価値という事になっている。同じ財でも効用は人により、時と場合により異なるが、現在の自分にとってこれだけの代価を支払うだけの効用がある、と判断した人が、その価格で購入する。したがって、現在の市場経済における最適な資源配分とは、「最も必要としている人」でなく「最も多く代価を支払う意思がある人」に資源を配分することで、価格がその人を見出す信号の作用をする。

効用は主観的判断だが、価格は全くの主観で決まるのではない。工業製品においては、一般に資源やエネルギーを沢山使う製品ほど効用が大きい。或いは、企業は製品の効用を高めるために多くの資源を使い、複雑な構造にして性能や機能を高める。また、消費者が如何に安い値段を要求しても、原価以下で売ることはできない。その原価は、生産にエネルギーを多く使うほど高い。化石燃料をあまり使わなかった昔のエネルギーは主として労働だったが、化石燃料が大部分の現在は、生産時の化石燃料消費量が価格に大きく影響している。ただし、これはあくまでも一般的な傾向であって、価格と化石燃料消費との実際の関係は生産された国や条件によって様々に異なるから、一義的には決まらない。(詳しくは本ブログ「財やサービスの価格は化石燃料消費を反映する」2011年6月16日を参照)

このように、価格の信号機能には、より高い代価を支払う購入者に配分を導くだけでなく、化石燃料をどれだけ使うかを反映するという機能も持っているのである。もちろん、価格はブランド価値、希少価値、知的所有権など物理的属性と関係ない要因にも大きく影響されるが、大量生産の工業製品として市場競争の中で成熟すれば、それらの影響は小さくなり、利潤率も適正なところに落ち着き、生産エネルギーとの相関が増してゆくだろう。アダムスミスも、財の生産コストに一定率の利潤を加えた価格を「自然価格」と呼んでいた。

財の価格は、原価だけでなく、付加価値(利潤や人件費)の部分もまたエネルギー消費の信号になっている。付加価値は、それを所得として得た人が次の消費財を買うために使われ、その消費財を生産するためには必ず新たなエネルギー(主として化石燃料)の消費を誘発する。生産にほとんどエネルギーを使わない美術品でも、それを売った代価の貨幣は、次々と世の中を巡るうちに必ず何らかの工業製品やエネルギーの購入に使われるから、やはり価格相応のエネルギー消費を招くのである。以上のような価格が持つ環境負担、特に付加価値が呼び起こす環境負担について注意を向ける人が私の他にほとんど見当たらないのはとても不思議に思う。つまり、エネルギー消費を招くのは個々の財物だけでなく、化石燃料依存の市場経済そのものなのである。これは、かのFrederic Soddy (同位元素の発見でノーベル化学賞を受賞後、経済学者に転じた)が書いているように、「貨幣は資源の請求権」であることとよく符合する。

このような貨幣経済の本質、あるいは「カネがかかるということは、環境負担や化石燃料消費が大きいことかも知れませんよ」という信号を全く無視し、本当に環境負担や化石燃料消費の削減になるかどうかの疑いを封じて、環境技術という名目だけで高額・大型・複雑な耐久消費財の普及に多額の投資をするのは、まさに計画経済の誤りそのものではないだろうか。金持ちに財や資源を配分するという価格の信号機能は、自己の利益の最大化という現代経済思想に基づくという点で人為的であり、社会的にあまり良い結果になっていないが、エネルギー消費を反映するというもう一つの信号機能は客観的なものだから、それを無視した行動は自然の理に合わないことで、その負担はいずれ必ず戻ってくるだろう。
2013年2月24日


  1. 2013/02/24(日) 15:56:24|
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