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縮小の時代

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急ぐことは時間を無駄にすること

現代人は一生を急いで過ごしている。子供の頃は母親から最も頻繁に聞く言葉が「速くしなさい」であり、学校に上がれば先生から、就職すれば上司から、急げ急げ、速く速くと毎日はっぱをかけられる。こうして、いつの間にか急ぐことが大切だという観念が身に付くと、周りからせかされることがなくても、何事も自ら進んで急ごうとする。

何でも速さが尊重されるのは、同じことをするのには少しでも短い時間でする事が効率的で、それによって人生を豊かに過ごせるという通念があるからだろう。所用時間の最小化とは、生産性の最も重要な要素である。この生産には経済生産だけでなく知識や経験を広める精神的な生産も含めて良いが、精神的な生産性の向上も、現在では、結局は経済生産力の高い人間を造ることが目的になっている。「時は金なり」という諺がそれを端的に表している。

時間の効率が上がって同じことが短い時間でできるようになると、余った時間はどうするのだろうか。昔の時代は、遊んで過ごしたと思う。初期の近代経済学者にとっても、生産性向上の目的はそれだった。遊ぶとは無意味に時間を消費することではなく、何事にも制約されず「楽しむ」ことである。これこそ至福の時間であり、生き甲斐を感じる時間である。楽しんで生きることこそ、人生の目的といっても良い。子供は遊びの達人で、無心でただひたすら遊びに徹する(現代の日本の子供に遊びがなくなったことは、2012年7月28日の本ブログ記事「オリンピックとスポーツ こんなものは要らない」でも触れた)。もちろん、昔も無意味な時間のつぶし方をする人がいたであろうし、現在はそんな人が増えているのではないかと思われる。これは、社会の重圧に押しつぶされて自分の人生に生き甲斐を感じなくなっているからだろう。

しかし、現代人は余った時間を遊ぶことには使わず、もっと多く生産するために使う。これは仕事を離れても同じで、例えば、旅行に行くと少しでも早く目的地に着いて少しでも多くを見ようとする。こうして、いかに時間効率を上げてもゆっくりできる自由な時間は一向に増えず、ますます時間に追われるようになる。「もっと多く」は、それ自体が遊びにも勝る人生の最大の楽しみと信じられているか、あるいは、楽しむ時間を犠牲にしてもその追及を余儀なくされているかのいずれかである。

こうした「もっと多く」の追及によって本当により多くを得ているだろうか。手に入れた物事も、ある限度を超えれば、代わりに得損なった物事の方が大きくなるのは自然の理である。どこまでが限度かは個人の考えにもよるが、限界を超えていることに本人が気が付かない場合もあるだろう。一人ひとり振り返って見ることが必要だが、私の感想からすれば、日本人やいわゆる先進国の人達の平均的な生活は既にこの限度を超えているように思う。生活水準が今より遥かに低かった大昔でさえ、多くの人が足るを知ることによる自分の充実感を様々な文書で著して来たのである。

所用時間の最小化という時間効率は、経済学的な観念である。時間はエネルギーと同様に、客観的で無機質な、金を生み出すための単なる生産要素に過ぎないから、必要とする量が少なければ少ないほど良いと考えるのである。だが、時間はエネルギーと違い、客観的で無機質な生産要素ではない。人間にとって、時間を過ごすことは生きることそのものなのである。

急ぐこと、すなわち、ある行為をしている時間が短いほど良いと考えることは、その時間を「本来は無かった方がよい無駄な時間」と見なすことである。それは、そうして人生の一刻を過ごしているという事実、すなわち人生の一部を否定することである。しかも、時間短縮によって得た時間を他の行為に回しても、それがやはり短縮されるべき時間と見なされるのなら、結局は人生の大半を否定することになってしまう。

それよりも、時間を過ごしていること自体、すなわち大切な人生の一刻一刻を過ごしているということをもっと重視した方がよい。最小化されるべき所要時間だと思っている時間も、実は、短縮せずとも、思った以上に多くを得ることが出来る、楽しい時間かも知れないのである。例えば、旅行の移動時間は短い方が良いわけではない。本来、旅の良さは移動することの中にあり、ゆっくりと移動している中に大きな発見や楽しみがある筈だが、拠点から拠点へ高速移動するだけの現代の旅は、その楽しみを大いに損なっている。日常生活でも、なるべく自動車より自転車、自転車より歩くことによって、知らず知らずのうちにより多くに触れることができる。家事や料理でも、便利な機械で素早く行うより、時間をかけて自分で行えば、大きな楽しみや達成感が得られる。子供を人に預けてその時間を他に使うよりは、自分で時間をかけて子守りした方が、自分にとっても子供にとっても遥かによい。子供と一緒に居られた時間が人生の中でも最も充実した楽しい時間であることは、子供が離れて行ってからますます実感するものだ。

一般の仕事においても、同じ時間に如何に多くを生産したかより、仕事をしている時間そのものを楽しく、充実したものにすることの方が大切である。日本人は昔からその気持ちが強いのではないかと思う。沢山作り、沢山儲けるよりも、「なんでも鑑定団」の中島誠之助氏の言う「良い仕事」をすることに意義を見出す。物作りの職人に限らず、人に喜ばれる商売をしたいという商売人も、社会に役立つ仕事をしたいという会社員も同じで、みな儲けることだけに捉われない職人気質と言ってよい。こうして、職人として満足する仕事ができれば、仕事を離れた自由時間もまた急がず心行くまで楽しむことができる。

結局、何かをする時間を短くすることよりも、それを行っている時間のなかに潜んでいる意義を感ずることがより大切と思われる。結果でなく経過を楽しむことである。いや、経過の良いことが良い結果と言ってもいいだろう。一人の人間にとって、時は金でない。時間は人生そのものである。何事も急がず、一刻一刻を味わうつもりで行動すれば、人生観が大きく変るのではないだろうか。ユックリズムやスローライフは、縮小社会の重要な側面である。
2012年11月23日


  1. 2012/11/23(金) 15:26:23|
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