縮小の時代

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縮小社会は我慢の社会か

縮小社会の最も重要かつ不可欠な要件は、社会の物質的基盤である環境を将来永く持続可能にするためにエネルギーや物質資源の使い過ぎと環境破壊を、許容範囲以内に抑えることである。この許容範囲がどのくらいかは今後の研究課題だが、世界の総使用量を現在より遥かに少なくしなければならないこと、したがって、現在のような大量消費の生活水準を大幅に下げる必要があることは明らかである。「縮小」のもともとの意味はそこにある。

縮小社会という言葉を聞くと、それは我慢の社会か、という質問がよく返って来る。その質問にこめられているのは、我慢を強いられたくないという気持ち、あるいは、欲しい物が手に入らず、使いたいものが自由に使えない我慢の生活では喜びも望みも薄れてしまうのではないかという恐れだろう。しかし、我慢かどうか、また、我慢であってもそれが辛いかどうかは考え方次第である。

まず、我慢とは肉体的または精神的な苦痛に耐えることである。物に関して言えば、最小限の衣食住の必要を満たせば、それ以上の物がないこと対する苦痛は精神的なものである。苦痛ほどではなく、ちょっと使ってみたいという気持ちを抑制することも我慢と言えば我慢である。

アダムスミスやリカルド、マルクスの時代までは、必要(Needs)と欲求(Wants)は区別されていたという。両者の区別は必ずしも明確ではないが、満たされないと身体的苦痛に繋がるものはNeedsであり、精神的な苦痛だけに留まるものはWantsとするのも一つの考えだろう(例外はある。麻薬は欠けると肉体的苦痛をもたらすが、Needsとは言えない)。NeedsとWantsがいかに交換価値に結びつくかは、当時の経済学者を悩ませていた問題の一つだったらしい。しかし、その後、効用価値説が現れてNeedsとWantsの区別はなくなり、現在に至っている。NeedsかWantsかの区別は不要で、各個人にとっての効用(Utility)が個人にとっての価値であり、それが商品の価格(交換価値)を決める基になるというのである。これは企業にとっても、経済成長主義にとっても、非常に都合の良い考え方である。企業はNeedsの小さいことを憂慮する必要はなくなった。製品が人間や社会にどんな意味を持つかはどうでもよく、消費者が効用を感じさえすれば万歳である。こうして、あの手この手で消費者を引き付け、消費者はいったんその種の製品に慣れると手放すことに大きな苦痛を感ずる。

したがって、足るを知る人、もともとそれが大して必要だとは思っていない人にとっては、それが使えなくても我慢は必要ない。物によっては、例えば携帯電話や自動車でも、持てないことに苦痛を感じる人がいる一方で、逆に、持たざるを得ないことへの苦痛、または持たないことへの開放感を感ずる人さえいるだろう。また、それが我慢だとしても、我慢しているという自分の克己心により大きな満足を感じる人もいるだろう。

我慢とは本来否定されるべき事ではない。我慢の教えが子供のしつけの重要な部分を占めるのは、現在の小さな望みを犠牲にする小さな苦痛より、我慢することで開ける将来の幸福の方が遥かに大きいからである。したがって、我慢とは不幸ではなく、より大きな幸福への入り口に立つこと、より大きな幸福への始まりである。大食家や愛煙家にとっての節食や禁煙は苦痛を伴うかも知れないが、健康体の回復というより大きな幸福への到達を思えばこそ、その苦痛を我慢する。見返りのない、単なる苦痛の我慢だけに終わるのだったら、誰も敢えて我慢する人はいない。あれが欲しい、これが必要という物欲に対しても同じことで、物欲のままに満足させることを優先する現在の社会構造が、心身さらには社会や自然環境の健康を致命的に蝕んでいるという大きな不幸を認める限り、縮小はその不幸から脱する唯一の出口であり、次の幸福への唯一の入り口なのである。

持たざることによる精神的な苦痛は、他人の影響も受ける。他人が持っていると自分だけ持てないことに苦痛を感じる。逆に、持っている人が少なければ苦痛は小さく、誰も持たなければほとんど苦痛は感じない。縮小社会は、Needsまでも満たさない社会ではない。不必要なWantsは抑制される代わりに、誰もがNeedsを満たす社会である。縮小社会では皆が物を大切にし、余計なものを使わないから、一人だけ使えないという苦痛を感じる必要がなく、したがって苦痛を我慢しなければならない社会ではない。それより、不必要な物が少ないからこそ、もっともっとという物への執着から離れ、より精神的な楽しみが増え、分け合いによって人と人との心のつながりが強まり、より大きな幸福を感ずることが可能な、安心できる社会なのである。
2012年11月8日


  1. 2012/11/08(木) 13:27:20|
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