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縮小の時代

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縮小の時代―ブログ名称の変更について

1年半ほど続けて来た「自然流の随想」というこのブログの名称を、心機一転のため、「縮小の時代」に変更することにしました。基本的な姿勢は持続可能な社会を念頭に置いていた今までと同じですが、「縮小」という言葉をより全面に出したいためです。ここでいう縮小は社会の縮小であり、端的に言えば、
「数値で測ることが出来る人間活動の総量の削減」
のことです。具体的には社会全体としての生産量、消費量、物質やエネルギー資源の利用量、廃棄物の量、人間活動の時間的・空間的範囲などを表します。

今までの人間の歴史、特に産業革命以後の歴史は、ただひたすら、人間活動の物理的拡大が目的だったと言えます。しかも、その拡大速度を年々速めることが求められて来ました。より複雑で巧妙な技術を発明し、より多くの財物を手にし、より遠くへより速く行き、同じ時間により多くを行うことが人間の進歩であると、誰もが子供のころから教え込まれています。そうして社会全体として物が豊かになればなるほど、貧しい人が減り、平和で幸せな社会が実現するというわけです。このことは人々の心の中にしっかりと入り込んでおり、何を考えるにしても、それが基になっています。経済総生産(GDP)はそのほとんど唯一かつ絶対的な指標であり、技術はその最強の手段でした。

もちろん、これとは逆に、人間が財物やお金の奴隷になり下がること、或いは自然を破壊して生活条件の足元を崩してしまうことへの懸念から、財物に捉われず「足るを知る」ことの大切さを唱えた人は、紀元前から現在に至るまで数多くいます。ことに、古今東西の「賢人」と尊敬される人のほとんどは、足るを知り、質素な生活を人々に勧めて来たと言えます。最近では一般の人々にも、その考えは広まりつつあります。とはいえ、世の中の流れの方向は未だ変っていません。

しかし、拡大路線が本当の幸福な社会には繋がらないことが、近年ますますはっきりして来ました。何事も機械に支配され、標準化され、お金で片付く現在の世の中では人と人とのつながりが非常に希薄になっています。この寂しさを紛らわすために、人はますます物やお金に頼ろうとするという悪循環があります。経済成長はしても世の中の不平等や貧富の格差は広がる一方ですし、その経済成長すらままらなぬ状態が続いています。これは日本だけでなく、一部の途上国(注)を除いては、世界中がそうです。現在の社会は、GDPの大きさそのものより、その成長率に依存する仕組みになっているため、一昔前よりGDPは増加しているにもかかわらず、却って失業者や所得の減った人が増えています。
(注)途上国(発展途上国)という言葉は、先進国という言葉と共に、日欧米のような大量生産・大量消費経済を善しとする言葉なので、あまり使いたくないのですが、他に適当な言葉が見当たらないので、やむを得ず使いました。

経済の拡大に伴う社会の不平等化は、環境破壊とも密接に関係しています。経済成長とは、結局はより多くの資源を消費し、より多くの廃棄物を出すことです。言い換えれば、経済成長とは、より多くの自然資源をお金に変えることです。それも、本当に必要なお金ではなく、ただお金を少しでも多く手にし、少しでも贅沢をしたいだけです。新しい環境技術や資材の導入で環境負担の減少と経済成長が両立したように見えても、それは目に見えるところだけで、目に見えないところでは却って汚染物の排出や新たな資源消費が増えている場合が多いのです。

どの国でも、行き詰まった現在の状況を打破するために、経済成長を呼び戻すことが最大の課題とされているようですが、既に財物に溢れた国々では、人々はこれ以上の新しい商品をあまり必要としなくなってます。経済成長のためには、需要が伸びつつある途上国への輸出に頼らざるを得なくなっています。しかし、これも長くは続きません。また、お金に変えることができる資源は年々減少を続けており、エネルギー資源、材料資源ともに、需要に対する供給は厳しくなる一方です。こうして、経済成長の余地が少なくなった上で経済成長を図ることが、不平等と格差をますます拡大させることになります。

経済成長は、資源の制約という物理的な点でも、人間が物や技術の奴隷になるという精神的な点でも、もはや善い事は何もありません。世界の国々が経済成長のためにどんな政策を取っても、どれもうまく行かないのは、もはや成長を図る時代ではないことを物語っています。物質的な豊かさが幸福感に繋がらないことは、拡大は人間の進歩にはならないということでもあります。

結局、これからの社会は縮小の方向しかあり得ないことになります。縮小は、脱成長だけではありません。たとえこれ以上の成長はなくても、生産と消費の規模そのものがもはや肥大し過ぎているのですから、これを地球環境の持続可能な範囲に収まるまで縮小することが必要です。外国や遠い地域の生産物に頼らず地産地消を推進すること、大量生産より少量生産、複雑・便利・高機能な高級技術でなく、簡単に作れる小規模な機械や道具を大切にすること、速く速くでなくゆっくりすること、お金をかけない生活の仕方をすること、これらはみな縮小につながります。

「縮小社会」は、今まで心の奥底に刷り込まれてきた「拡大こそ進歩」の概念と正反対であるため、それは不可能だ、歴史の逆行だと頭から否定する人が多いかも知れません。しかし、いずれそれが当たり前の言葉になることは確かでしょう。数年前に「縮小社会研究会」が発足しているように、この言葉を抵抗なく取り入れる人が増えつつあります。

縮小の対象は数値で測れる物事ですから、社会の質や人々の幸福感などは当然含まれません。社会の質について言えば、物に捉われ、自然を破壊し、不平等を広げる「拡大」こそ、もはや進歩ではなく後退です。今の世の中がこのまま続けば、食糧や資源の奪い合いが国内外に広がり、国内の大混乱や外国との戦争の危険がますます大きくなるばかりです。したがって、縮小こそ進歩です。

社会の縮小は、これからの人類史の大きな流れです。社会の縮小を考えることは、人間とは何かを考えることでもあります。したがって、現代社会の非常に多くの現象や問題が、経済だけでなく文化や学問まで含めて、社会の拡大か縮小かに関係していると考えられます。本ブログを縮小の時代としたのも、そのためです。
2012年10月7日

  1. 2012/10/07(日) 14:23:29|
  2. 政治・社会・経済
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