縮小の時代

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奪い合い社会から分け合い社会へ

当ブログ8月17日の記事「これでよいのか領有権争い」の中でも触れたように、「物は多くても奪い合えは足りないが、少なくても分け合えば足りる」と東日本大震災の被害者が述べていた言葉は、世界中の人間とって、常に心に刻んでおくべき最も重要な言葉である。

今も昔も、ほとんどの社会問題は奪い合いから生じている。個人と個人の奪い合い、集団と集団との奪い合い、国と国との奪い合い。すべては富の奪い合いである。現在では、職業も、学校教育も、芸術もスポーツも、みな富を巡っての闘争であり、我々は生まれてから死ぬまで、闘争に明け暮れなければならない。そうしなければ生きて行くことはできず、それが適者生存、自然淘汰という科学の法則、自然の摂理であると、あらゆる機会を利用して教えられている。しかしこれは、ダーウィンの進化論を競争社会の勝者にとって都合良く解釈して誇張したものに過ぎない。

奪い合いは、奪い合う対象の不足から生ずる。いや、本当はその逆で、奪い合いが物を不足させ、あるいは奪い合いのために人為的に不足させている。アイゼンスタイン(2011)が書いているように、地球には70億の人口を養うに十分な物があるのであって、足りないと思うのは、大部分を本当に必要でないことに使っているからである(戦争、軍備、多過ぎ・贅沢過ぎの耐久消費財、競争のための膨大な建築、装飾、広告などなど)。
(Charles Eisenstein "Sacred Economics" Evolver Editions, 2011)

アイゼンスタインは更にいう。人間を奪い合いに駆り立てる原因は「分離」にある。自分と他人の分離、自分と社会の分離、人間と自然の分離など。自他の分離は、「自分の物でなければ他人の物」となり、これが「人より少しでも多くを自分の物に」という奪い合いをもたらす。分け合いの精神が入り込む余地はない。人間と自然の分離によって、人間は自然の支配者だと思い上がり、自然の資源を私有化してカネに変えようとする。どんな問題も技術が解決すると考える技術信仰もまた、人間による自然支配の思想そのものであり、いつか必ず破綻する。

人間は誰も1人では生きられない。分離した個人は存在しない。社会の成功者も、個人の才だけの結果ではなく、その大部分は他の人々のお蔭である。科学的発見も、特許権も著作権も、多くの人々によって今までに築き上げられた知識や文化がなければ生まれない。スポーツも芸術も、成功者の名声の高さは名もない同業者の数に比例する。経営の成功は末端労働者の汗に負っている。個人の富は、本来すべての人間や生物の共有である資源(物的資源だけでなく、文化的資源も)を私有化してカネに変えたものに過ぎない。その陰には環境破壊による膨大な犠牲者がいる。現在の競争主義(奪い合い)社会は、このような人と人とのつながりを全て無視し、個人はみな独立したものという勝手な仮定の上に築かれている。

奪い合いの最大の目的は安心の確保だろう。最後に頼れる人は誰もいないが、少しでも多くを自分の物にして貯えておけば安心だと思われる。だが、アイゼンスタインに言わせれば、これも逆である。いくら貯蓄があっても、金も物もいつ価値が下がるかかわからないし、誰かに奪われてしまうかも知れない。本当の安心は、分け与えることから生まれる。自分が必要とする以上の物があったら、不足している人に分け与える。皆がそうする分け合い社会ならば、自分が困った時には必ず誰か(社会)が助けてくれる。何の心配も要らない。分け合い経済とはGift Economyである。人の豊かさは、如何に多くの財物を所有するかでなく、如何に多くを与えるかで決まる。多くを与える人が多くを与えられるのである。このような経済はGift Economyと呼ばれている。

皆で分け合えば、物が少なくても不満は起きないから、全体の消費量をいくらでも減らすことができる。地球の資源を守り、環境を守るためには、それが必要である。それだけではない。少ない物を分け合ったことから得られる人と人との心のつながり、その気持ちよさ、幸福感は非常に大きい。それこそ、生きていることの最大の喜びになるだろう。

反対に、奪い合いを続ける限り、人々はより多くの物を自分のものにしたがり、資源の収奪は際限なく増え、物はますます不足する。人と人との関係は信頼関係でなく敵対関係になる。人々は決して満足することがなく、いつまでも幸福になれない。国と国との資源争いはますます戦争の危険を高め、個人の奪い合いはますます格差を広めて社会不安を拡大しており、いつか必ず破綻が訪れる。現在すでに破綻の間際まできている。

我々は奪い合い社会を捨てて、分け合いの社会を造るしかない。これが世界中のあらゆる人間にとって、あらゆる生物にとって、最も幸せな社会なのである。

分け合い社会のためには、個人の所得や貯蓄が必要以上に増えないようにする経済制度、貯蓄を必要としない社会保障制度など、社会制度の大きな変更が必要だが、それには、まず1人1人が意識を変え、今の社会でも出来ることから始めることが必要である。例えば、すべてにおいて欲張らない、足るを知る、余った物は惜しまず他の人に提供する、物を大切にする、無駄な消費はしない、金のかからない物事に価値を置き、金のかからない楽しみ方をする、必要以上に商売を大きくしないなどなど。

分け合いはむしろ人間の本性であるとアイゼンスタインも書いている。農業が生まれ、食糧の蓄積ができるようになるまでの原始採取社会はそうだった。また、孔子や孟子が言う、人間に生まれながらに備わっている徳(明徳)も、分け合いの精神に通ずる。
2012年8月27日


  1. 2012/08/27(月) 15:15:08|
  2. 政治・社会・経済
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