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自動車事故の責任

先日、京都市で暴走車が歩行者を次々とはねて8人もの死者を出した事故があったばかりだが、昨日また、京都亀岡で登校中の小学生の列に車が突っ込んで2人が死亡、8人が負傷した。同様な事故は全国に絶えない。日本はかつては年間17000人もの自動車事故死者を出し、現在はその3分の1に下がっているとは言え、まだまだ非常に多いというべきである。自動車が急成長中の外国では事故も急増中である。

自動車事故で責められるのは、たいていの場合運転者、あるいは業務上運転の場合は運転者の管理者である。すなわち、過失は自動車の使用者側だけにあるとされ、道路行政や自動車の欠陥、更にはこのような危険な自動車社会そのものの姿についてはほとんど問題にされない。

もちろん、乱暴な運転をした使用者側の罪は大きい。しかし、それだけで済ましてはいけない。事故を起こした運転者もほとんどは極めて普通の人間で、日頃から特に凶暴であったり、他人の命を危険にさらす行動をとっていたわけではなかろう。そのような普通の人間が、ちょっとした気の緩みや心身の状況によって、運転操作を誤ったり、或いは注意を怠ったりする。それだけではない。ふだんと同じように注意深く運転をしていてさえ、場合によってたまたま歩行者や自転車が視界に入らなかったり、車の前に人が急に飛びだすなどの不意の事情で事故を起こすことがある。

歩行者や自転車と通行帯の区分がない狭い道路を、人間の20倍も重い鉄の塊のような自動車が、人間が歩く速度の10倍以上もの高速で走れば、事故が起こるのは当たり前なのである。人間の技術が起こす事故のなかで、自動車事故の死者は跳びぬけて多い。事故を減らすために衝突防止装置や通信システムなど新しい技術が開発されているが、それでも他の交通手段なみの事故確率まで下がる見込みはない。現在の自動車の利用法は、技術の利用の仕方として誤っていることに気が付かなければならない。事故の犠牲者は、このような自動車社会を推進している行政や、こんな危険な自動車を販売している企業の責任も問うべきである。

「人間や生物に危害を与えてはならない」ということは、あらゆる技術に共通する最も基本的な原則である。もちろん、どんな交通手段でも、事故を完全になくすことはできない。飛行機も鉄道も船も、世界のどこかで事故が起きている。かといって、技術的な交通手段を全く使わないわけにはいかない。そこで出て来るのがリスク論で、交通手段がもたらす便益の大きさと危険の大きさとを天秤にかける。自動車はこれだけ事故が多く、膨大な死傷者を出しているにもかかわらず、そのリスクより便益の方が大きいと判断されていることになる。

しかし、このリスク論には大きなの落とし穴がある。自動車のリスクは鉄道や船や飛行機のリスクとは大きく異なる。それは、鉄道も船も飛行機も、リスクを受ける人と便益を受ける人が同じだが、自動車は歩行者や自転車、つまり自動車に乗るという便益を受けない多くの人もまた大きなリスクだけを受けるという点である。リスクを受ける人と便益を受ける人が同じなら、その人の判断によって利用すればよい。現に飛行機は怖いと思って乗らない人がいる。これは病気の治療や手術も同じである。しかし、自動車事故に巻き込まれた歩行者は自分でリスクの判断をしたのではない。思いもよらず被害だけを受けるのは、通り魔にいきなり刺されたのと本質的には変わらない。歩行者をはねることは、自動車のリスクではなく危害なのである。歩行者は何の便益も受けていないのに、危害だけ与えらえる。これほどの不公平はない。

このような、不公平極まりない自動車社会はいつまでも続けるべきではない。自動車を持つことを文明の証、発展の証と思う人が多いかも知れないが、実は、これは文明とは程遠い、むしろ野蛮な社会である。現在の自動車社会は経済成長主義の思想と密接に結びついている。高度に複雑化した高速、快適、かつ格好のよい自動車が日常生活になくてはならないものだと考えている人は、ただそう思わされているだけである。原発の推進者と同じく、人の命より経済的豊かさの方を大切だと思わせる陰謀である。

確かに、自動車は老人や病人を運んだりする福祉の役にも立つことができる。しかし、現在の自動車は、逆に老人や弱い者には運転できない。本当の福祉のためには、現在のように高速、高機能、複雑である必要は全くない。現在の自動車は、ただ経済のための自動車、自動車産業や経団連のための自動車に過ぎないのである。

道路を歩いている子供が自動車にひかれることほど悲惨なことはない。このような悲惨な事故は、決してあってはならないことで、そのためには道路交通のありかたそのものを変える必要がある。まず、歩行者と同じ軌道のない平面を自由に走る自動車なら、速くても自転車の速度程度、つまり運転に十分のゆとりがあり、いざとなれば瞬間に止まれる速度に制限すべきである。これは、速度制限だけでなく、自動車の速度性能そのものを落とす方がよい。このような低速でも、自動車の実用的価値はそれほど減るわけではない。都会では、自動車をやめて自転車を愛用する人も多いのは、その一つの証明である。

現在のような大型、高速の自動車は、歩行者や自転車の専用通行帯がない道路への進入を禁止するべきである。これは、道路のありかたそのものを根本的に変えることを意味する。すなわち、現在のような高速自動車優先の道路から、歩行者や自転車の安全快適を優先する道路に変える。

これは、現在のような高速高機能な自動車が減少することにもなるので、経済を優先と考える多くの人は反対するかも知れないが、それでなくても石油その他の地球資源の逼迫により、遠からず現在のような自動車社会が衰退することは明らかである。若者の自動車離れや、比較的小型の自動車が以前より増えてきたこともその兆しだが、あと20年もしないうちに、現在は思いもよらぬほどに進展するだろうと予想する。
2012年4月24日


  1. 2012/04/24(火) 22:53:13|
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