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縮小の時代

「意識を変える」と唯物史観および人間の本性について

当ブログ4月17日の「意識を変える」は、縮小社会研究会に提出した小論で、縮小社会に移行するためにはまず意識の改革が必要であることを述べたものだが、これに対して、同会のある会員からコメントが寄せられた。それは縮小社会だけでなく、物事の考え方の基本に関することなので、それに対する私の回答をここに転載しておきたい。ただし、これは同会内部での討論の一部なので、会員の氏名に関する部分には若干の修正をした。

以下転載
1.「意識を変える」はマルクス唯物史観に反するか
私の小論「意識を変える」は、社会の構造を変えるために意識を変えることの重要さを述べたものですが、これは、「下部構造(生産様式などの実体的な状況)が上部構造(政体や意識)を決定するのであって、その逆ではない」という唯物史観に反するのではないか、というのが頂いたコメントの一つです。しかしここには、唯物論か観念論かを機械的に判断することから生じた誤解があるように思います。

私が「意識を変える」の中で、現代人の持っている意識の多くが人間の本性によるものでなく、工業文明がもたらした経済成長主義に合わせて造られたものだと述べているのは、唯物史観を意識したわけではありませんが、唯物史観的といえるでしょう。(ちなみに、私は客観的な宇宙の存在を認め、人類や「私自身」の誕生とは関係なく自然界が存在し、人間の観念も物質から出来た頭脳があって初めて存在すると考えており、その意味では唯物論者です。)したがって、史的唯物論(唯物史観)についても、私はそれが実際の歴史や社会の変化をかなり的確に表している場合が多いと感じています。しかし、人間のやることは自然現象とは違います。たとえ社会と言う集団の行為にしても、統計的に見た行為においても、一つの法則が常に完全に貫徹されるという保証はありませんから、唯物史観を機械的に当てはめるのは要注意です。

第一に、下部構造は時と共に変化するものですが、上部構造が常にそれに合わせて遅れなく自動的に変化するわけではありません。西洋が民主主義になったのも、徳川幕府が崩壊して明治に変ったのも、生産様式の近代化という下部構造の変化がそうさせたと言えますが、実際に上部構造が下部構造に対応するまでには長い年月がかかります。しかも、生産様式の変化に合わせて政体も自動的に変化するのではなく、生産様式が変るにつれて社会の矛盾が徐々に大きくなり、先に目覚めた人が運動を始め、年月をかけて人々の意識(観念)を変えさせ、ようやく上部構造を変えることが出来たのが歴史でした。つまり、上部構造の最終的な変化は観念の変化の後にようやく実現したと言えます。

第二に、技術の変化→生産消費様式の変化→意識の変化→技術の変化 というように、意識と実体は互いに影響し合って変化して来ており、常にどちらが先でどちらが後だとハッキリ言えるわけではありません。

第三に、技術や生産力が決まれば経済構造が一義的に決まるわけでもないと思います。同じ技術力や生産力でも、種々な経済構造が可能で、どれを選択するかは意識の問題です。現在の生産様式は技術が決めていますが、それは、開発した技術が社会・文化・環境にどのように影響するかにはお構いなしに何でも応用したからです。そこには経済優先という意識の選択が働いています。経済優先でなければ、実際に開発・応用された技術も現在とは違い、したがって経済構造も違っていたかも知れません。

以上のように、唯物史観であるか否か、マルクス的か否かを機械的に判断してしまうのは、却って本質の理解を妨げる危険があるように思います。頂いたコメントの中に「多くの人がマルクスの社会変革の精神に共感を示し、限界を感じつつも「マルクス主義の呪縛」に囚われてきたと思うのですがどうでしょうか。」とあったのも、マルクス主義を機械的に当てはめようとしたために囚われた呪縛ではないでしょうか。更に加えれば、ここで唯物史観的か否か、マルクス的か否かを区別をする必要は何もないと思います。

さきほど、私は唯物論者だと書きましたが、だからといって、観念や宗教世界を軽視しているのではなく、逆に、非常に大切だと思っています。生命と生活の基盤は物質であり、観念を生むのも頭脳という物質的な装置ですが、そこで造られる観念こそ、楽しみ、喜び、感動、理想、勇気など、人間を人間たらしめるすべてだからです。

蛇足ですが、科学と宗教についても同様です。客観世界がどうなっているかを追求するのが科学であり、その客観世界の中で人間として如何に生き、如何に死ぬかを追求するのが宗教だと私は考えています。神や仏は精神世界の中に実在すると信じれば良いのであって、それによる不都合は何もありません。そう考えれば、経典を読んでうなずくこともできるし、神社やお寺を素直な気持ちで参拝できるし、見事な宗教芸術に感動することもできます。したがって科学と宗教は矛盾するのではなく、補い合う関係です。ガリレオの宗教裁判やカトリックによる進化論否定のごときは、主観の世界のものである宗教が客観世界のものである科学の領域まで支配しようとしたための誤りだと思います(科学が未発達であった昔は仕方がないことですが)。

2.資本主義的な拡大意識は人間の本性か
今日の資本主義的拡大の意識について、私は人間の本性ではないと「意識を変える」に書きましたが、頂いたコメントは、西洋的合理主義にもとづく人間の本性と考える、と言っておられます。私が本性でないと言ったのは、だからこの意識は変えられる、と言いたいためですが、人間の本性であるから、この意識を変えなさいといっても拒否する人がいるのではないか、とコメントは心配しておられます。物欲、成長、進歩、競争等の意識が人間の本性で変えられないとしたら、人間社会は滅亡しかないので、大変困った問題だと思いますが、私はやはり、人間の本性ではなく、近代になって造られたものだと思います。

揚げ足を取るようで恐縮ですが、「西洋合理主義に基づく人間の本性」には矛盾があります。人間の本性とは、古今東西いつでもどこでもあるもので、西洋合理主義に基づくという条件づきなら本性とは言えなくなくなります。

物欲には自然の物欲とそうでない物欲があると思います。空腹の時には何かを食べたい、美しい石が落ちていたら拾って自分のものにしたい、というのは自然の物欲であって、これは本性と言えるでしょう。しかし、何でもかんでももっと欲しい、もっと欲しい、人より多く持ちたい、という物欲は、自然の物欲を超えたもので、本性ではないと思います。

狩猟採取時代や、現在も世界のどこかに残っている部落的な共同体では、私有という概念すら希薄でした。また、工業文明以前の社会では、生産力は限られていたので、物欲の程度も非常に僅かなものでした。自然の物欲が無限の物欲に変ったのは、やはり技術によって生産力や財の種類が飛躍的に増加したからではないかと思います。現在でも、人が物を欲しがるのは、その物があるから、自分の物にすることが必ずしも不可能ではないからであって、実在しない物(例えばドラえもんがポケットから出す道具)や、存在しても自分のものにするのは完全に不可能なもの(例えば世界一大きなダイヤモンド)に対しては、欲しいという気持ちを起こす人はほとんどいないでしょう。これらは、現代人の物欲が成長主義、利益主義の経済とそれに支配された技術が掻き立てたものに過ぎないという証拠になると思います。

競争もまた然りです。何かにつけて競争し合うのは人間の本性でないと否定することはできませんが、すべてに競争を持ち込み、あくまでも弱肉強食の競争に明け暮れのは本性を逸脱しています。

人間にはもう一つ大切な本性があります。それは、他人と敵対し争うより仲良くする方を好むという本性です。原始部落では、敵かも知れない外来者に接する最も有効な方法は、もてなすことだそうです。人類学者のDavid Graeberは、英語のhospitality(良いもてなし)はhost(もてなす人)、 hostile(敵意ある)、 hostage(人質)と語源が同じであり、また、ヨーロッパや中東でもパンを分け合った者は互いに傷つけてはいけないとされていた”と書いています[1]。無用な争いを避けることは身の安全を守るという本性の表れで、そのために、物欲も競争も適当なところで抑制するのが人間の本性だと思います。
[1]David Graeber ”Debt:The First 5000 Years”, Melville House Publishing, 2011

最後に、これは唯物論的になりますが、人間の本性も、観念だけが造りだしたものではなく、人間が生きてゆくための必然から生まれたものではないでしょうか。衣食住に対する自然の物欲は生命の維持のために必要であるし、他人との付き合い方に関する各種の本性(喧嘩より協力すること、集団の中では奪い合いより分け合うこと、家族を大切にすることなど)も、集団(家族はその最小の単位)で生活するための必要から生まれたものだし、集団で生活するのは、個人個人がバラバラよりも安全で生活しやすいという共通の利点があるからだと思います。家族を大切にするのは、子孫を残して生命を連続させる、という物理的な必要が関係しているでしょう。したがって、物欲という本性が本性であり得るのは、生命の維持(子孫への繋がりも含めて)に不可欠な範囲の物欲であって、それ以上の物欲は本性を逸脱したものだと私は考えます。
2013年11月21日


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