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縮小の時代

理想論という批判への批判

縮小社会とか持続可能な社会について話すと、それは理想論に過ぎないと反撃されることがよくある。生活水準を落としても目先の経済より長期的な安定を目指して環境・資源を大切に保護すること、個人的な欲望の満足を優先することより世界中の現在と未来の人間の公平を目指すこと、などは所詮は絵に描いた餅、現実の人間社会には不可能というわけである。

理想論という批判は、人間や社会のあり方が話題になる時は決まって出て来る話法である。現実はそんなに甘くない、それはロマンチックな性善説だ、人の性はもともと悪で人の事より自分を大事にするものだ、というその批判の裏には、自分は経験も豊富で世の中をよく知っているという自負がうかがえる。確かに、理想論を語るのは若者に多い。そんな若者でも、社会に出て現実にもまれているうちに理想が薄れ、あるいは理想を諦めて、現実主義者になる人が少なくない。しかし、そのような「理想はロマンチックな幻想」という批判は的外れである。むしろその逆に、自分の方こそ現実主義といいながら実際は不可能な幻想に捉われて、本当は実現可能な道を不可能だとはねつけている人が多い。

その典型的な例が技術過信である。例えば、環境やエネルギーの問題解決には生産や消費の削減しかないのだが、「いわゆる現実派」は、現在の大量消費・成長主義経済を放棄することを嫌い、すべてを省エネ技術、新エネルギー技術、環境保護技術などの技術で解決することを望む。現在の技術では不十分でも、将来必ず革新的技術が現れるはずだと確信する。しかし、そんな都合の良い技術が現れる可能性はない。技術の実現性は自然科学の法則と社会の条件に制約され、人間の望み通りにはならない。どんな希望も技術で叶えられるなら、近代技術がこれほど多くの問題を起こしている筈はないのだ。いくら複雑巧妙な高級技術に頼っても解決は不可能だし、そんな技術に頼れば頼るほど、新たな問題が次々と現れるのが技術の歴史の語るところである。まだ見ぬ革新技術への依存は物理的な不可能を神仏が可能にしてくれると思い込む幻想でしかない。それに比べれば、化石燃料供給量をを強制的に抑制する方が遥かに現実的で、やろうと思えば必ず実施可能である。

もう一つ例を挙げれば、市場原理主義の経済思想である。「すべての経済活動は自己の利益の最大化のために合理的に行われ、市場が資源を最も効率的に使い、資源の最適な配分をもたらす」という命題はあくまでも理想の(より適切に言えば仮想の)社会であって、現実の人間行動も、社会もこのようには行かない。だからこそ多くの問題が生じている。これこそ批判されるべき「理想論(仮想論)」だが、現在の経済学者も政治家もすべてこの仮想的市場原理主義に固執している。

ある提案を理想論だと批判する人も、夢を持つことは批判しない。逆に、人は夢を持つことが必要だと考える人が多いようだ。夢を捨ててはいけない、夢はいつか必ず実現するといった言葉を頻繁に見聞きする。しかし、「夢」は「理想」以上に幻想である。夢とは元来現実に反するもので、はかないもの、実現可能性がない(または極めて少ない)ものだからこそ夢なのだ。オリンピックで金メダルを取るという夢、総理大臣になるという夢、ノーベル賞学者になるという夢は絶対に実現不可能ではないが、叶えられる確率は極めて小さい。誰でも努力すれば実現できる望みは夢とは言わない。これに対して、「理想」は誰でも望んで努力すれば実現可能、もしくはそれに近づくことが可能である。理想は全くの仮想ではなく、現実の延長と言える。現実と全く乖離したことは理想とは言わない。したがって、夢は個人的なもの、理想は個人的でないものという区別はあるかも知れないが、実現可能性という点から見れば、理想は夢よりはるかに現実的と言える。夢を語り、夢を信じて努力することを重んじながら、理想に向かって努力することを批判するのは大きな矛盾である。

歴史を見れば、理想を持つことこそが世の中を変える原動力だった。身分制・君主制の時代から民主主義時代への変化は、理想を掲げた人がなければあり得なかっただろう。古今東西、人々から賞賛され尊敬された歴史上の名君達も、みな高い理想があったからこそ名君であり得た。思想家達の描いた理想が優れた政治の力になった。

理想を語ることに対しては、「理想論ばかりで具体性がない」というのもよくある批判である。しかし、具体案を詳しく示すに越したことはないが、それがないことが根本的な欠点にはならない。実際には、現実的に可能であることが理想の前提になっているから、具体的な方法はその気にさえなれば容易にわかる事が多いし、既に種々な方法が知られている場合も多い。例えば、化石燃料消費を持続可能な範囲まで削減することは縮小社会の一つの方向だが、その具体的方法を示せという要求は、太り過ぎの人に節食を勧めたら節食の方法を教えてくれなば実行できないと迫られるようなものである。要はその気になるかどうかの問題で、栄養が偏らないように節食する方法を知りたければ、自分で食品分析表を調べることも難しくはない。化石燃料消費の制限方法は既にCO2削減方法として数多く提案されてもおり、足りないのは実行の決心と大胆さだけである。自動車の燃費制限も、超小型化、低速化など大胆な法律的手段を取れば、かなりの目標が達成できる。具体案を示さなければ机上の空論だという批判は、意識の転換や社会の枠組みの大きな変更など、自分に都合の悪い部分は変更せずに理想を実現する方法を要求しているようなもので、これも反対のための反対であることが多い。

もっとも、理想は実現可能といっても、現状を性急に変えようとすればいろいろな問題も起こるだろう。しかし、理想に近づく方策には工夫が必要ではあるものの、ひとたび理想の実現が共通の目的として意識されるようになれば、必ず多くの人がより実際的な方法を工夫し、提案するだろう。

以上のように、理想を語ることが現実的でないという批判は全く的外れである。それは単なる批判のための批判に過ぎない上に、そういう批判をする人には必ず論理的な矛盾があるものだ。理想は大いに語るべし。理想を語る事こそ、物事を良い方向に変えて行く最大の力になる。
2012年12月30日

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  1. 2012/12/30(日) 13:43:13|
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