大飯原発の再稼働にやっきとなている野田首相は、「再稼働を決める政治判断の責任者は私だ」と述べた(日本経済新聞6月4日WEB版)。これは、再稼働で事故があった時に首相自身が責任を負うということである。
しかし、どうやって責任を取るかについての具体的な発言はないようである。言うまでもなく、もし事故が起ったら、誰にも責任をとる方法はない。責任を取るとは、それで物事が収まることでなければならない。仮に野田首相が切腹しても、失ったものは永久に戻らないから、責任を取ったことにはならず、むしろ、切腹は自分自身が修羅場から逃げる責任逃れに過ぎない。切腹でなく、総理を辞任しようが、総理の全財産を投げ打とうが、同じことである。
したがって、本当に首相が責任を取ることが可能な判断はただ一つ、「再稼働不許可」しかあり得ない。再稼働の不許可によって、仮に電力不足の問題が生じたとしても、それに対応する政策は十分可能だから、責任が取れる。電力会社や経済界から責任を追及されても、日本の現在と将来のためにより大きな責任を取った、と反論することができる。むしろ、行き詰まりが見えている電力浪費社会、資源浪費社会から、持続可能な将来の社会に向かって政策転換すれば、首相として歴史上最も偉大な功績となり、それこそ現在と将来の日本人に対して、政治家としての最も大切な責任を全うすることになる。
首相の最終判断の時期が迫っているという。「責任を取る」とはどういうことか、野田首相が本当に理解しているのなら、必ず「再稼働は認めない」という結論にならなければならない。
だが、そんな結論を期待するのは、恐らく首相の買い被りだろう。首相にはそんな政治的理念も、責任感も、論理的思考能力も、全くあるようには思えないからである。「私が責任を取る」などと言って、責任を取ることが不可能な再稼働の決断をする可能性が極めて高いが、それは政治家として無責任の極みといえる。首相がこんな無責任を平気で言える、それが今の日本の政治の状態なのだ。
2012年6月8日
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- 2012/06/08(金) 15:09:39|
- 政治・社会・経済
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