FC2ブログ

縮小の時代

口だけの平和祈願でなく戦争の原因をなくせ

今日は広島の原爆記念日だ。朝から平和式典のテレビ中継を見た。
昨年、何年振りかに広島平和公園と原爆記念館を訪れ、市民を無差別に大量殺戮したアメリカに改めて強い憤りを覚えた。戦争を終らせるため、より多くの戦争犠牲者を出さないために必要な行為だったとアメリカはいまだに原爆投下を正当化しているが、すべては屁理屈に過ぎない。もちろん、戦争をしかけた日本軍国主義の罪悪と責任は消せないが、だからと言って罪のない市民を無差別に大量殺戮してよい理由にはならない。日本軍でさえ、真珠湾攻撃は軍の施設を標的にしただけで、一般市民の無差別攻撃ではなかった。

広島平和公園では、「平和を願う」「二度と戦争は起こさない」「核兵器の廃絶」という言葉は至る所に見られる。それは多くの日本人の願いであろう(戦争も核兵器も好きな日本人が少なくないとはいえ)。しかし、どうも、口だけの願いに終っているという印象が拭えなかった。

いくら平和を叫んでも、戦争の原因をなくさなければいつか必ず戦争は起る。戦争の原因は、古今東西、ほとんど経済である。戦争とは資源、土地、労働力の奪い合いである。そして、その根底には際限のない物欲がある。自分達の土地や労働の生産力では満足できず、それ以上の物を求めて、国外に進出する。

現在も、この構図は全く変らない。世界中の資源を利用して、際限のないモノの豊かさを追求している。経済成長も経済の全球化もすべて、それが目的だ。しかし、世界の経済規模は、すでに、資源の先行きが危ぶまれるほど肥大化した。しかもその上に、大人口の大国が経済成長路線に加わって、資源をますます逼迫させている。資源やエネルギーの確保のため、各国は軍備の増強に余念がない。

日本も全く同じである。相変わらず経済成長を求め、国外に市場を求め、日本にない資源を求め、日本にない資源に依存する技術開発に努めている。これらすべては、みな平和への努力をむなしくさせるようなものだ。広島には、このような、戦争の根本原因への追究は全く見られなかった。ただ言葉だけの核兵器廃絶、平和の願いに終っている。戦争の原因となる物欲を抑え、核戦争に結びつき、廃棄物によって将来世代の生存権まで奪う原子力発電をやめよ、という言葉は全く見られなかった。

今年の平和式典で、菅首相は、原発に依存しない社会を求めることを表明した。歴代の首相にはなかったことで、大いなる前進だ。脱原発は絶対に必要だ。しかし、それだけでは戦争はなくならない。本当に平和を願い、不戦を誓うのなら、まず際限のない物欲におさらばすべきだ。足るを知り、わが土地、わが国土が与える恵みの範囲で暮らすことを求めるべきだ。

こんなことを感じながら平和式典のテレビを見ていた。しかし、菅首相の言葉が終わったところで、式典はまだ続いているはずだが、NHKは中継を終わり、連続テレビ小説に移ってしまった。NHKは平和式典よりテレビ小説の方が大切だと思っているのだろうか。
2011年8月6日


スポンサーサイト



  1. 2011/08/06(土) 09:47:28|
  2. 政治・社会・経済
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

プロフィール

石田靖彦

Author:石田靖彦

フリーエリア

最新記事

----------

過去の記事一覧

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (15)
環境 (20)
エネルギー (29)
原発 (45)
伝統文化 (0)
科学と技術 (21)
政治 (12)
政治・社会・経済 (48)
文化 (3)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR