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縮小の時代

縮小の時代

1992年のリオデジャネイロ世界環境会議から20年になる来年5月には、同じリオデジャネイロで「リオ+20」が開かれることになっている。リオ10年後にもヨハネスブルグで開かれたが、最初のリオ会議の熱気に比べて、地球環境への関心は薄れる一方である。地球温暖化についても、最近は人為的な原因に対する懐疑説がかなり幅をきかせるようになっている。

地球環境破壊の最大の原因である経済成長主義を見直すべきだという人も増えたが、国連、世界銀行、OECDなどの国際機関も、各国の政府も、脱経済成長に舵を切った国は一つもなく、相変わらず経済成長を追っている。特に最近では中国やインドなど人口大国が急成長を始め、環境と資源の問題はますます切迫して来た。

経済成長が人間を幸福にする時代はもう終わったのである。その理由を整理すると:
(1) 経済成長は資源の消費と環境汚染を伴うから、無限の成長は物理的に不可能。既に地球の容量を超えており、これ以上の経済成長は破局の到来を早めるだけ。
・化石燃料、金属資源、漁業や農林の資源が間もなく危機に陥るのは明白。
・温暖化が一層加速し、生態系の破壊、食糧危機を一層深刻にさせる。
(2) これ以上資源を使ってモノを増やしても幸福にならない。余分な物やゴミが増えるだけ。
(3) 経済成長すれば皆が均しく豊かになる、という理論は破綻している。実際は格差拡大のみ。
(4) 人間がモノに支配され、競争に我を忘れ、人間の心が失われる。
(5) 経済の地球規模化が加速し、世界は画一化され、地域社会、地域環境、伝統文化が失われる。

世界にはまだ貧困に苦しむ人が8億以上もいる。これらの人々にとっては経済成長が必要かも知れないが、それは、貧困国の資源を収奪し、一層貧しくさせている豊かな国々の経済規模を落とすことによって初めて実現される。豊かな国々が一層豊かになろうとすれば、貧困国はますます貧しくなるだけだろう。

現在の市場経済における経済生産とは、自然の資源をカネに変えることに過ぎない。エコロジー経済学者のハーマン=デイリーは、地球の限界を超えた現在の経済成長はもはや実質的な成長でなく、人々を一層貧しくしているだけだと言っている。

地球環境や資源の問題については、技術開発やサービス産業など脱物質化によって環境負荷を低減しつつ経済成長ができると考える人が少なくない。しかし、いずれも不可能であることはこのブログでもしばしば触れた(5月16日、30日、6月10日、11日、16日など)。

全ての人が安心して住める持続可能な社会の実現には、社会の縮小しかない。これからは「縮小の時代」である。我々の選択は、計画的に縮小するか、自然に任せて破局に陥いるかの二つしかない。
縮小社会とは、次のような社会を言う:
・地球環境が持続可能になるまで経済や人間活動の規模が縮小され、
・同時に、経済成長を必要としない。

経済成長を必要としない社会にするためには、社会の構造や習慣を大きく変更しなければならない。現在の社会は、経済規模は下がらなくても成長率が下がると失業者が増えるという、困った構造になっている。経済が借金と投資に依存しているからである。

縮小社会は空間規模も縮小する。現在の広域経済は国際的大企業だけが栄えて地域経済は疲弊する一方だが、縮小社会では地産地消、中小企業がより重要になり、地域が活性化し、仕事の充実感が得られ、家族や隣人とのつながりはより緊密になる。

借金と投資を前提とした経済を根本から変えることには、大きな困難が伴うかも知れない。しかし、これは自然法則とは関係ないから、人間がその気になれば必ずできる。混乱を伴わずに、円滑に経済成長主義から脱してゆく方法もある筈だ。

縮小社会は、我慢の社会でも貧しい社会でもない。必要以上のモノに捉われない、もっと人間的な温かい社会になる筈だ。モノの限界を知れば、新しい知恵や工夫が生まれ、元禄時代のような庶民文化が再び栄えるだろう。
2011年7月6日


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  1. 2011/07/06(水) 12:43:53|
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