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縮小の時代

環境ビジネスによる経済活性化の矛盾

大震災で収縮した経済の復活は環境ビジネスで、という声がしばしば聞こえる。震災以前からも、環境ニューディール政策と称して、環境ビジネスをこれからの経済の主力にしようという主張が世界的に高まりつつある。しかし、「自然流」に考えれば、それには無理があって不可能に思える。

あらゆる生産は、環境にそれ相応の影響を与える。ほとんどは負の影響で、環境にとっては負担である。自然環境は人間や生物が必要とする物質の供給源であり、すべての排出物の吸収源だから、環境にとっての負担とは、物質の供給、排出物の吸収という環境の能力を損なうことを指す。

ただし、生物はそれ自身が自然環境を構成する一部であるように、人間も僅かな人口で狩猟生活をしていた原始時代には自然環境の一部であったと言える。その時代の生産行動は環境負担と見なさなくてもよい。生産が環境負担そのものになったのは、工業文明社会になってからである。

環境ビジネスの中身も現代工業文明における生産であるから、環境に何らか負担を与える。それが環境保護に役立つとすれば、環境ビジネスによって減少する環境負担が、その環境ビジネスが与える環境負担より大きい場合に限る。

環境ビジネスが生産するものは何だろうか。生産される実体としての「富」は、自然環境が本来有する「富」でなければならない。しかし、自然の「富」は人間が造り出すものではないから、環境ビジネスによる「富」の生産とは、人間による自然の富の減少を小さくすることである。つまり、収入を増やすことではなく、節約によって支出を減らすことに等しい。

しかし、節約は生産ではないから、いくら節約しても収入が増えるわけではない。環境ビジネスによって経済成長をはかることは、節約によって収入を増やそうとするのと同じで、根本的な矛盾がある。

実は、環境ビジネスの本音は、「自然の富」の生産ではなく「カネという富」の生産であろう。これなら節約ではない正味の生産になるかも知れない。しかし、「カネという富」は、「自然の富」とは似ても似つかぬものである。

カネは真の富ではない。カネそのものは何の使用価値も持たず、使用価値のある実体的な富との引換券という「仮想の富」に過ぎない。

「カネ」は、所有者には実体的な富とほとんど同じようなものだが、自然環境にとっては「負債」である。カネが負債であることは、20世紀の初めに同位元素の発見でノーベル化学賞を受賞し、後に経済学者に転じたフレデリック=ソディが看破している。(Frederick Soddy, "Wealth, Virtual Wealth and Debt" 1983 New Printing再版)

人がカネを使うことは、自然環境に資源を要求し、負担をかけることに他ならない。カネという富の増大は、自然の富の減少である。環境ビジネスで環境保護と経済成長が両立すると考えるのは、実体的な富と仮想的な富を同一視した観念論的経済学が生んだ誤謬である。
2011年5月30日


  1. 2011/05/30(月) 16:37:17|
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