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縮小の時代

ルペン氏は本当に極右・排外主義か

フランス大統領選挙の候補者ルペン氏は、日本の報道では必ず極右、排外主義といった枕詞がつけられている。決選投票で中道派と言われるマクロン氏がそのルペン氏を破ったことにより、一斉に安堵したような記事が多い。

だが、彼女の選挙公約は
 ・自国第一;
 ・移民の制限、不法移民の送還、外国人労働者への課税;
 ・EUからの離脱;
 ・自由貿易の制限、国内産業およびフランス人労働者の保護;
 ・法人税(現行33%)の引き下げ(中堅企業24%、小企業15%);
 ・国防費増額、警察官増員;
などとなっている。どうしてこれが極右、排外主義なのだろうか。

軍国主義時代の日本やナチスは極右であった。その極右たる所以は:
 ・自国民を世界で最も上等な人間とし、外国人を蔑む;
 ・国内では政権を絶対化し、国民が国家のために命を捧げることを強制する;
 ・自国民を警察力で監視し、政権の批判を許さない;
 ・自国の利益のために外国を犠牲にすることを厭わない;
 ・武力によって領土を広げ、侵略し、資源を略奪せんとする。

ルペン氏も、同じように極右と言われているアメリカのトランプ大統領も、上のどれもあたらない。両者とも武力は重視しているが、武力で他国を侵略する意図があるとは思えず、両者でなくても武力はどの国も重視している。日本の政府でさえも、憲法に違反して武力拡張を図っている。自国第一は、看板に掲げるかどうかの違いだけで、どの国で同じだろう。自国より他国の方を優先すると公言している政府は世界中に一つもない。

自国の産業・企業・労働者を守るのは政府として当然のことである。自国の弱い産業や労働者が苦しんでいるのは、現在の経済全球化(グローバル化)が資本や低賃金の外国人労働者・移民を無制限に受け入れている結果だから、貿易制限や移民の制限をすることは、国の当然の権利である。これを排外主義だからいけないというのは、人や物や資本の移動のすべては完全に自由であるべきだというのと同じであり、それは、世界中から国境を無くし、民族や地域の文化や習慣の独自性をなくし、世界を完全に一つの国に同化せよということに等しい。だがそれは、地域や民族の個性を認めず、伝統文化、すなわち人間の歴史のすべての否定することで、本当に人道的・道徳的であり、人間のあるべき姿とは言えない。それによってすべての人間が最高の幸福を得ることができれば、それでも良いが、そんなことには決してならないだろう。

ルペン氏を極右・排外主義とするのは、自由貿易主義を最善とする思想から来ていると思われる。TPPなど自由貿易に反対する意見を保護主義という言葉で非難しているのも同じである。それは決して人道主義、道徳からではない。物や資本の移動の自由や移民・外国人労働者の無制限な受け入れによって、国際的な大企業と金融機関が利益を上げるからである。企業は安い外国人労働者を使い捨てでき、それによって、国内の賃金水準全体も下がる。物価水準が低く、環境規制や労働者・消費者保護の規制も緩い途上国に生産拠点を移すことで、一層大きな利益を上げられる。逆に、多くの庶民は格差拡大、賃金水準・雇用条件の悪化、失業、さらには福祉の削減という憂き目に会う。途上国もまた、豊かな国に資源を安く吸い上げられ、経済は先進国への依存を強め、一部の支配層だけが甘い汁を吸い、結局ははいつまでも貧しいままであり、外国への逃亡者を次から次へと生み出すことになる。物、資本、人間の完全自由主義は、人道主義とは反対である。

国際的大企業の保護ではなく、弱い自国労働者や自国産業の立場に立とうとしているルペン氏は、極右どころか、右翼とも言えないのではないだろうか。それより、憲法の武力禁止条項の廃止を目指し、教育勅語を正しいとし、国家や国旗という単なる飾り物へ敬意を強制し、秘密保護法や共謀罪法で国民の監視を強め、マスコミを抱き込んで言論の自由を制限し、武力の増強や派遣に人一倍熱心な安倍政権およびそれに近い日本の政治家たちの方が、よほど極右である。

ルペン氏やアメリカのトランプ大統領の言う自国第一は、自国の産業と労働者の保護という意味でしかない。日本の安倍政権もドイツのメルケル政権も、その本音は、もしかしたら自国第一ではないかも知れないが、そうだとしたら、自国以上または自国と同等に他国を尊重するからではなく、自国の弱き民より大企業や富裕層の保護を第一にするからだろう。

何でも全球化するのではなく、自国内の産業と労働者の保護を重視すると言い出したルペン氏がかなりの支持を集め、イギリスのメイ首相、アメリカのトランプ大統領がついに政権を得たのも、現代資本主義の状況がそこまで悪化し、もはや我慢できないと、多くの民衆が感ずるようになったからである。彼等の今後の政策には未知の部分が多く、いろいろと問題が出てくるかも知れないが、現時点では、現在の資本主義のあり方に大きな一石を投ずるもので、トランプ大統領の軍事の姿勢については、ちょっと危険を感ずるものの、仮に具体的な政策が弱かったり、万全でない点があったとしても、少なくとも、新たな時代の到来を告げる重要な出来事である。社会のあり方を根本から考え直す非常によい機会と考えるのではなく、この流れを封じ込め、あくまでも大企業や富者に都合の良い現状を維持しようとする日本のマスコミは、体制派を代弁するものでしかない。■
2017年5月9日
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  1. 2017/05/09(火) 20:21:40|
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教育勅語は道議に反する

今回の森友学園問題では、国有財産払い下げの怪しさだけでなく、教育勅語を幼稚園児に暗誦させる森友学園の教育方針を安倍首相夫妻や稲田防衛相が絶賛していることに最も大きな問題がある。

稲田防衛相は、3月8日の参院予算委員会で、「教育勅語は全くの誤りではなく、日本が道議国家を目指すべきだという精神は変わらない」と述べたという。だが、教育勅語は本当に道議的で誤りがないのなのだろうか。民より国体、天皇、武力を重んじる稲田防衛相が道議を語るに相応しい人物だろうか。

教育勅語の全文は以下の通りである:

******************
朕惟(おも)フニ、我ガ皇祖皇宗、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ。
我ガ臣民、克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世世厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ、此レ我ガ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦(また)實ニ此ニ存ス。
爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭儉(きょうけん)己(こ)レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ、進デ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。
是ノ如キハ獨リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。
斯ノ道ハ實ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラズ。朕爾(なんじ)臣民ト倶(とも)ニ拳々服膺シテ、咸(みな)其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。明治二十三年十月三十日  御名御璽
*******************

一見、正しいことを言っており、伝統的な儒教の教えに似ているようだが、実はまったく違う。教育勅語では、まず天皇が神格化され、有無を言わせず、絶対的な敬意崇拝の対象として存在している。

「親孝行」以下、「兄弟仲良く、友と信じあい、恭しく慎ましく、博愛であり、学を修め、智能と徳を高め、進んで世のため人のために尽くし、憲法と法律を重んじる」までは、古今東西の素朴な道徳観とあまり矛盾せず、それ自体としては大切なことだ。だが、教育勅語は、これらはすべて、次の「一旦事あれば皇室のために身を捧げる」ためであって、決して世の民のためではない。このように、国民が皇室に尽くす事が道義であり、忠義であって、それが先祖代々からの日本の習いであるというのだ。

これに対して、儒教の忠君愛国は、君主の神格化でも絶対化でもない。逆に、人民に愛され、慕われるための君主のあり方、指導者としての君子のあり方を説いているのが儒教である。それは、親孝行、家族愛から始まって友人知人、更には人民に対する愛であり、仁である。それを率先すべきが君子であり君主であって、そうして人民が平和に暮らせる良い国家になって初めて人民は君主を慕い、敬愛し、国を愛する気持ちが生ずるのである。儒教は、そのような君主でなければ王たる資格はないと言っている。儒教が重視しているのは、下から上への忠心ではなく、上から下への仁であって、教育勅語とは正反対なのである。

また、儒教は王の血統を絶対視していない。王はそれに相応しい者なら誰でもなれると言い、王に相応しくなければ、追放して世を改める(革命)ことも許している。日本の天皇制は世襲制だから、絶対化であって、血縁以外の者は天皇になれないのである。

したがって、民より天皇を絶対化し、有無を言わせず皇国に命を捧げることを強要している教育勅語は、儒教的な道徳感とは正反対であり、本来の道徳や正義とも真っ向から対立する。

カントはによれば、「真の道徳とは、偶然や経験、あるいは目的や結果とは無関係で、本能的な理性によって、それ自体が正しくそうすることが義務であると感ずることである。更にカントは、自分の意思が道徳的に善であるかどうかを確かめるためには、自分の行動原理が普遍的な法則になることを意慾することができるかどうか」自問して見ればよい、と述べており[1]、NHKの「ハーバード白熱教室」で有名なアメリカの哲学者マイケル・サンデルもそれを肯定している[2]。教育勅語の言っていることは、万世一系の天皇制という偶然の条件を前提としているから、普遍的な法則にはなり得ない。世界には万世一系の王政が続いている国は他になく、既に王政を廃止した国も多い。日本ですら、天皇の神格化、絶対化は普遍的ではなく、江戸時代は徳川幕府の権力の方が権威があった。

[1]カント、中山元訳、「道徳形而上学の基礎づけ」光文社古典新訳文庫

[2]マイケル・サンデル、鬼澤忍訳、「これから正義の話をしよう」ハヤカワ庫

こんな教育勅語を、道議といい、それを掲げる道議国家であることが必要だという稲田防衛相や、それを全面的に支持する安倍首相は、北朝鮮の思想と全く同じである。彼らは、道徳や正義とは何かを考えたこともなく、従って全く理解していないといってよい。いまさら言わなくても、日頃の彼らの言動や態度を見ていれば、彼らに道徳のひとかけらもないことは明瞭だが。

今の天皇は、万世一系の天皇制である限り、その永続性を脅かす最も危険な思想は、天皇の神格化であり、かつての皇国史観だと思っているのはないだろうか。安倍や稲田の右翼思想を、むしろ困ったものだと懸念しているのではないだろうか。■
2017年3月10日
      
  1. 2017/03/10(金) 11:09:19|
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トランプの移民制限を非難するだけでは何も変らない

トランプ大統領がイスラム7カ国からの入国を一時差し止めする大統領令を発したことが、世界中で非難や抗議の的になっている。移動の自由は基本的人権の一つであり、特定の民族の入国禁止は人種差別にも通ずるので、この大統領令は人道的に許せないと言ったところだろう。だが、そのような単純かつ感情的な反対は、もっと本質的な問題を見逃していないだろうか?

そもそも、トランプ大統領がこのような強硬手段に出た理由は、次の点にある:
①法律に違反する不法入国が多い;
②低賃金で働くため、多くのアメリカ市民が雇用を奪われ、賃金水準が下がり、苦しんでいる;
③イスラム系の入国者によるテロがしばしば発生する。

トランプ大統領にしてみれば、国政の責任者として、本来のアメリカ市民の生活と安全を守るためには、いずれも放置できず、何らかの処置をしなければならない問題である。英独仏や日本でも、同様な問題を抱えている。日本ではまだテロ行為は少ないが、その危険はいつでもある。トランプの試みは、ある意味では止むを得ないとも言える。逆に、この政策に抗議し、従来通りの移民政策を続ければ、何の問題解決にもならず、問題をますます大きくするだけではないだろうか。

法治国家である以上、善良な国民からすれば、不法入国は厳しく取り締まって欲しいのは当然である。また、イスラム圏で暴力的な抗争が続き、テロ行為が絶えず、外国にまでテロ行為を広げようとしているのは事実であり、これも国民に取っては大変危険かつ不安である。イスラム圏でテロを根治させることは大切だが、それには時間がかかる。当面はテロの自衛策を取って欲しいのも、多くの善良な国民の望むところではないだろうか。トランプ大統領のイスラム圏からの入国禁止も、一時的なもので、永久とは言っていない。一時的な処置の間に、より根本的な方法を考えるつもりなのだろう。

入国一時禁止も、国境の壁も、自国の内部での対応であって、外国に出かけて対応処置をしようとするのではない。この意味では、これまでの大統領のように、中東を直接空爆し、罪のない一般市民まで大量に殺戮してきたことに比べれば、はるかに平和的である。世界中でトランプの入国禁止令に反対している人達は、よりタチの悪いアメリカ軍の中東の空爆に対して、これまで同じように反対して来ただろうか? そうではなかった。日本のマスコミも、トランプの入国禁止に対する批判ほどの批判はせず、ほとんど沈黙を守って来たのではないだろうか? この点でも、入国禁止令に対する非難は、感情に傾き過ぎ、理性に欠け、問題の本質から避けているように思える。

移民の制限に最も反対するのは、実は企業家達ではないだろうか。移民も不法入国者も、非常に安い賃金で働いてくれる。不法入国者は後ろめたさがあるから、なおのこと低賃金に甘んじるだろう。人件費を切り詰め、利益を上げたい企業にとっては、それによって、従来のアメリカ市民がどんなに困ろうと知ったことではなく、有り難いのである。現在のマスコミは大企業や金持ち達に操られているから、そういう産業界の思惑が、人道派を装って、トランプ攻撃に走っているのではないだろうか?

更に、移民とはどういう人達だろうかを考えてみる必要もある。政治犯や、自国内の戦乱によって国外に脱出する以外に生きる道がない人達は、人道的な立場から、できるだけ受け入れてやらなければならないのは言うまでもない。だが、移民の全部がそんな人達だろうか? メキシコからアメリカに不法入国する人達の多くは、アメリカの方が賃金が10倍も高いからだとテレビが現地報告していた。西欧に流れ込んだ移民の多くも、自国より高い生活水準を求めてのことではないだろうか? 

メキシコの賃金がアメリカの一割しかなくても、物価もまたそのくらいだから、大半のメキシコ人は国内に留まっている。メキシコに限らず、国外脱出せず、自国内に留まって、必死の努力をしている人達も大ぜいいる筈だ。良い生活を求めて自分だけ逃げ出すより、祖国や同胞を愛し、社会の改善に努めたいという気持ちが強いからだろう。言葉はきついが、祖国を捨て、自分だけ楽をしたいために流れ込んでくる移民は、有り難い移民とは言えない。仮に移民先で成功しても、結局は利己主義が先に立つ人間だから、移民先の国民にとって、本当に良いかどうかは疑わしい。

このように、移民の問題には、ただ見かけの人道主義だけでは片付かない、大きな問題が潜んでいる。トランプの大統領令は、このことを改めて考えさせてくれる良い機会なのである。ただ反対し、今まで通りのやり方を続けるのは、問題を先送りするだけだろう。

私は、最善の移民政策として、外国人の賃金を自国民の賃金と同等またはそれ以上にし、それ以下であることを禁止したらどうかと思う。そうすれば、企業はよほど優秀でない限り、敢えて外国人を雇わないから、自国民の雇用が奪われることがなく、賃金水準が下がることもない。よほど能力がない限り外国人の就職が困難だから、不法入国も、安易な移民も減る。就業する外国人は自国民以上に優秀な人が多いから、自国の社会に貢献する。

もう一つ大切なことは、国外への脱出者が多い国に対しては、国内での幸福感を高めるような支援を行うことである。これは、欧米や先進国型の生活態様を目指すのではなく、現地の地理・歴史・文化に適った国づくりを手助けすることである。具体的にどうしたら良いかは、国によって違うからわからないが、少なくとも、そのような国造りの支援を目指すことが、その国に取って最も好ましいことは間違いない。そうすれば、国外へ逃げ出す人も自ずから減少するだろう。■
2017年2月10日
  1. 2017/02/10(金) 15:47:44|
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借金行政は金持ちと大企業のため

安部政権は8月2日の閣議で、国債を増発して28兆円の経済対策をする決定をした。28兆円は、今年度の税収見込み57.6兆円の半分にも達する巨大な額である。政府の債務残高は今年3月末時点で1075兆円(うち国債955兆円、国庫短期証券120兆円)に上る[1]。政府資産が570兆円あるから、正味の借金は430兆円に過ぎないとも言われるが、それでも税収の7倍以上になる。[1]財務省、「国債等の保有者別内訳(速報)」

外国と違って日本政府の借金はほとんど国内からの借金だから、ギリシャのようになる心配はないという説もあるが、借金は返さなければならない。今年度予算では国債費、すなわち国債の返済と利子の支払いのために必要な額が23.6兆円となっている。これはなんと、税収の41%にも達する。庶民が苦労して納めた税金の半分に近い41%が借金返済に使われるのである。したがって、政府は、借金を返すために毎年新たな借金をしているとも言える。

政府に金を貸しているのは金融機関である。その金融機関に金を預けているのは、一般市民のなけなしの貯金や年金基金などもあるが、大部分は大企業や金持ちだ。したがて、政府予算の国債費は、これらの大企業や金持ちに支払われていることになる。税収の半分が大企業や金持ちに直接還元されているのである。

増税は一般庶民だけでなく、大企業や金持ちにも均等に来る。しかし、増税する代わりに金持ちから借金すれば、金持ちは、政府に貸した金の元金が保証される上に利子が来る。金持ちにとっては、増税より政府の借金の方が遥かに有難いのである。

一方、一般庶民は、国債費の還元がゼロではなくても、極めて僅かに過ぎない。それより、せっかく納めた税金が金持ちへの借金返済に回されることによる損失の方が大きい。更に、政府は税収が少なく、借金が多いことを理由に、福祉や教育をはじめ、庶民にとって大切な部門の予算をどんどん削っている。このような庶民へのサービスの低下も、借金行政による庶民の損失である。

国の借金で危機に陥ったギリシャでは、債権者である外国から倹約政策を強いられているのに対し、ギリシャ国民が強く反対している。倹約政策とは、結局のところ、庶民への福祉とサービスの低下である。庶民の犠牲の上に金持ちを保護するための倹約政策に庶民が反対するのは当然である。

以上のように、国の借金は、一般庶民から大企業や金持ちに金が流れるカラクリの一つであって、国がいつまでも借金をし続け、金持ちや大企業もそれに反対しないのはそのためだ。政府は、常に財源不足を理由に、消費増税や福祉・教育予算の削減や多額の借金を続けているが、その一方で企業減税をしている上に、無駄な支出が非常に多い。高速増殖炉や核融合を初めとした科学研究費、箱物行政、外国への支援、オリンピックなどなど。これらの大部分は、結局は大企業や金持ちを利するだけで、庶民のためにはなっていない。■
2016年8月4日
  1. 2016/08/04(木) 10:42:40|
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英国のEU離脱は縮小の始まり


イギリスでは、国民投票でEU離脱賛成が過半数を占めた。これに対する日本の論調は、ほとんどすべて、経済に関することばかりである。それも、相変わらずの国際化、経済成長主義に基づいたもので、経済広域化がもたらす様々な問題や、民族や文化の本質について論じたものはほとんどない。株が上がったの下がったの、イギリスに進出した企業の事業の拠点を他に移すのどうのこうのという、馬鹿馬鹿しい話ばかりである。

今まで、世界は統一・統合の方向、つまり拡大の方向に進んできたが、その目的はひとえに経済のためだったといえる。欧州以外でもTPP、NAFTAなど経済的な統合は世界の各地域に及んでいる。WTOは世界中を一つの統一された経済圏にしようとするものである。物流や資金の流れを妨げる障害を取り除いて経済圏を広げることにより、企業にとっては商売がしやすくなり、庶民にとっては外国品が安く手に入る。経済の開放はすべての開放につながる。一国に閉じこもった閉鎖的な社会から、世界に開かれた社会になり、人々の視野が広がり、精神的にも豊かになり、将来が明るく見えるような気がする。

だが、実際はそうはならなかった。経済の広域化は、金持ちや大企業がより多く儲けるためには有利になったが、零細な企業にとっては厳しい競争にさらされ、結局は国際的にも国内的にも格差を広げることになった。特に、先進国では人々の最低限の必要が満たされてこれ以上欲しいものが減り、また、資源の制約もあって経済成長が鈍化した現在においては、金持ちがますます金持ちになるのは、貧しい者がますます貧しくなることである。世界はそういう時代になったのである。

外国人の流入を制限せよと大声で主張する人がいないのは、それが人間の自由や人権の侵害であり、反民主主義的であるようと思えるからだろう。だが、大量の外国人流入で、本当に民主主義が進んだだろうか。自由や人権がより尊重されるようになっただろうか。事実はその逆ではないだろうか。大量の外国人流入の、大部分は貧しい人達である。企業は安い労働力として使うだけで、外国人の大量流入によって賃金水準が下がり、自国民の生活も苦しくなる。イギリスのEU離脱派にとっても、それが大きな理由の一つだったようだ。

外国人の流入は、差別思想を広げる。企業が外国人を安い労働力としか見ないことは、自国民と差別していることである。企業だけでなく、全体として差別の思想が当り前になってゆく。安い外国人労働者も、やがてその国に定着し、子供が生まれ、子孫が増えて行く。しかし、将来は資源の制約が厳しくなれば、相対的に人口過剰となって、食糧や物が現在ほど簡単に手に入らない時代が必ず来る。その時、外国人に対する差別がますます酷くなるのは目に見えている。現在、外国人労働者の受け入れに賛成している人達に、いかなる場合でも絶対に差別はしないという覚悟はあるだろうか。

移民の多くは、自国での貧しさに飽き足らず、もっと豊かになりたい、先進国並みの生活をしたいという人達だろう。物価水準が低いルーマニアでは、イギリスなどへ出稼ぎに出た人が戻って、豪邸を建てているという報道があった。祖国の人々のためにという大志を持った移民、または祖国では迫害を受けたり戦争など生命の危険にさらされている人達なら一時的に受け入れて支援したいが、自分だけ先進国並みの生活をするのが目的の、そんな移民を、自国民を犠牲にしてまでも受け入れるのが必ずしも人道的とはいえない。個人の自由と権利の尊重は言うまでもないが、それには他人の自由と権利を侵害しないという原則がある。

外国人の大量流入で、文化や社会習慣が国際標準的になってゆく。独自の文化、独自の習慣が薄れ、文化の質は却って低下してゆく。人間は、最終的には自分の生まれ育った文化や環境の中に安住を見出し、そうして文化の多様性が生まれる。記憶が定かではないが、昔読んだ人類学者の梅棹忠夫の本だったろうか、人間にとっては政治的な国家への帰属より、民族的への帰属意識の方が大切だと書いてあったような気がする。

蟹は甲羅に似せて穴を掘るという諺がある。人間も他の生物と同じく、自分の身の回りの自然環境の中で、それにふさわしい暮らし方をするしかなく、限度を超えて拡大すれば必ず問題が起り、持続不可能になる。経済の国際化、市場の拡大は、自分の目の届かない、全く知らない土地の恵みに依存して自分の利益を増やそうというもので、これが数々の不合理を生むのは当然である。無理な拡大から、自然の縮小へが今後の世界の流れであり、イギリスのEU離脱もその始まりの一つである。■
2016年6月29日
  1. 2016/06/29(水) 10:53:23|
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